1月2日1837年【M.バラキレフ】

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ミリイ・アレクセエヴィッチ・バラキレフ
Ми́лий Алексе́евич Бала́кирев
Mily Alekseyevich Balakirev

[作曲家/ロシア]
1837年1月2日 – 1910年5月29日 73歳没

「ロシア五人組」のまとめ役として知られている。

バラキレフ:ピアノ曲全集(6枚組)

 

【ロシア5人組】19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団。以下の5人からなる。
ミリイ・バラキレフ(1837-1910)
ツェーザリ・キュイ(1835-1918)
モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)
アレクサンドル・ボロディン(1833-1887)
ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844-1908)

生涯

1837年 ニジニイ-ノヴゴロドに生まれる。
幼少から楽才を示し、貴族学校に通いながらピアノを学ぶ。
1855年18歳 サンクトペテルブルクに上京、大学で数学を専攻した後、作曲家グリンカ(1804-1857)やダルゴムィシスキー(1813-1869)と出会う。
バラキレフのもとに1855年キュイ、1856年ムソルグスキー、1861年にリムスキー=コルサコフボロディンが集結し、バラキレフ・グループ「力強い一団」いわゆる「ロシア5人組」が誕生する。

同時期に活動したアントン・ルビンシテイン(1829-1894)は、1859年にロシア音楽協会を創設し、1862年にロシア最初の専門的な音楽教育機関サンクトペテルブルク音楽院を創設し、「西欧派」だったのに対し、バラキレフたちは「新ロシア楽派」を名乗り、ロシアの現実と民族の志向を表現する国民芸術を目指して、ペテルブルグを拠点に活動した。その中で、バラキレフは他のメンバーに音楽教育を行い、その才能を開花させた。
また、1860年ヴォルガ河沿岸、1862年カフカース地方で民謡を採取し、その後代表作となる『イスラメイ』(1869)や交響詩『タマーラ』(1882)に素材として用いた。

1862年25歳 バラキレフを中心に「西欧派」の拠点ペテルブルグ音楽院に対抗して、無料音楽学校を設立。
1868年31歳 同校校長に就く。
バラキレフに献呈されたボロディン『交響曲第1番』初演の指揮をするなど、同校主催の演奏会で指揮台に立ち、バラキレフ・グループの新作や、彼らが信奉するグリンカ(1804-1857)やダルゴムィシスキー(1813-1869)、そして初期ロマン派(ベルリオーズ、シューマン、リストら)の作品を精力的に取り上げた。
1869年32歳 帝室宮廷礼拝堂の監督と、帝国音楽協会の指揮者に任命される。
指導者やロシア音楽のまとめ役としての発言力から、新たな運動の発起人という役割を果たし、「五人組」ばかりでなく、チャイコフスキーも彼のアドバイスを仰いでいる。
同年、東洋的幻想曲『イスラメイ』作曲。1902年に第2版の改訂版が出版されたこの作品は難曲として知られ、当時の名ピアニスト、ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)が「あらゆるピアノ曲の中で一番難しい」と言ったとされ、M.ラヴェル(1875-1937)は友人に「『夜のガスパール』の作曲の目標は、『イスラメイ』以上の難曲を書き上げること」だと伝えたと言われている。

東洋的幻想曲『イスラメイ』
ピアノ:ボリス・ベレゾフスキー(1969-)

1874年37歳 1870年代以降、無料音楽学校の経済的な問題、パトロンとの演奏軋轢、活動の失敗などから精神的に落ち込み、無料音楽学校学長を辞任。
仲間たちもそれぞれの道を歩みだし、「ロシア組」は事実上解消。
創作活動から遠ざかり、生活のためにサンクトペテルブルク・ワルシャワ鉄道で勤務した時期もあった。
1881年44歳 無料音楽学校学長に復帰。指揮活動も再開し、徐々に創作意欲を取り戻し、未完のまま放置していた2曲の交響曲などの作品を完成させる。非常に筆が遅く、ブラームスが『交響曲第1番』に21年をかけたことが良く知られるが、それを凌ぐ33年をかけて『交響曲第1番』を完成させた。交響曲2曲、交響詩3曲、室内楽曲や声楽曲、ピアノ協奏曲2曲、ピアノソナタ2曲、7つのマズルカ、7つのワルツ、3つのノクターン、3つのスケルツォなどの作品を残した。

交響詩『タマーラ 』Тamara symphonic poem(1882)
指揮:ケント・ナガノ(1951-)
モントリオール交響楽団

1883年46歳 宮廷聖歌隊の楽長を務める(-1894年)。
もはや影響力は薄れ、旧作の改編に専念した。
1884年頃からマズルカの作曲を行う。
1902年55歳 『イスラメイ』の改訂を行う。
1910年5月29日73歳 ロシア サンクト・ペテルブルグで亡くなる。。他の「五人組」同じく、サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院のチフヴィン墓地に埋葬されている。

『ピアノ協奏曲第2番』などの作品が未完のまま残され、セルゲイ・リャプノフにより完成された。


東洋風幻想曲<イスラメイ>

『イスラメイ』ラン・ランによるマスタークラス

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