10月25日1838年【G.ビゼー】

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ジョルジュ・ビゼー
Georges Bizet

[ 作曲家 / フランス ]
1838年10月25日-1875年6月3日 36歳没
オペラ『カルメン』『真珠採り』、組曲『アルルの女』などで知られる作曲家です。
オーケストラ作品や歌曲、ピアノ曲も作曲し、ピアノ作品はどれも標題をもち、短い人生でしたが親しみやすい旋律を数多く生み出しました。


ビゼー (作曲家の物語シリーズ)

 

『アルルの女』
指揮:H.v.カラヤン(1908-1989)
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1978年演奏)

生涯

1838年 声楽教師の父、ピアニストの母のもと、パリに生まれた。
幼い頃から音楽に親しみ、記憶力が抜群だった。
1847年9歳 パリ音楽院に入学。約10年在籍し、ピアノ、ソルフェージュ、オルガン、フーガで一等賞を獲得。音楽院時代にC.グノー(1818-1893)に知り合い、その後も長く交流をもち影響を受けた。
1857年19歳 カンタータ『クローヴィスとクロティルデ』で作曲家の登竜門であるローマ大賞を獲得。ローマへ留学しイタリア語の台本によるドニゼッティ風のオペラ・ブッファを作曲。
1860年22歳 母の病のためにパリに戻る。

1861年3月22歳 ワグナー『タンホイザー』のパリ初演に赴き、聴衆による激しいブーイングを目の当たりにする。5月にはF.リスト(1811-1886)の前で演奏する機会を得て、「この曲を正確に弾けるのは私とハンス・フォン・ビューローだけ」と豪語していたリストの新作を、ビゼーは一度聴いただけで一部分を弾き、楽譜を渡されると完璧に演奏し、リストを驚かせ賞賛を受けた。しかし、ビゼーはピアニストではなく、オペラ作家としての成功を目指す。
1863年25歳 最初の傑作『真珠採り』を作曲。
1871年33歳 四手用ピアノ曲『子供の遊び』作曲。
1872年34歳 『子供の遊び』の抜粋の管弦楽版、付随音楽『アルルの女』初演などが成功をおさめた。

1874年36歳 オペラ・コミックとして『カルメン』が完成。
1875年3月 作曲を委嘱したオペラ・コミック劇場で行われた『カルメン』初演は失敗。
ヒロインが女性労働者だったこと、ヒロインの声域を一般的なソプラノではなくメゾソプラノに設定した斬新さが受け入れられなかった。ビゼーはその3か月後の1875年6月3日、36歳で失意のうちに敗血症のために他界。

同年10月『カルメン』はギローによりグランド・オペラのスタイルに改作され、ウィーンで大成功を収めた。C.ドビュッシー(1862-1918)、サン=サーンス(1835-1921)、P.チャイコフスキー(1840-1893)などから賞賛され、ニーチェは『カルメン』を20回も観たと記している。

『カルメン』より
ソプラノ:マリア・カラス(1923-1977)(1962年演奏)

『子供の遊び』
ラベック姉妹

ビゼーは、1869年にパリ音楽院の作曲の師、ユダヤ人であるアレヴィの娘ジュヌヴィエーヴ・アレヴィと結婚しており、ジュヌヴィエーヴはビゼー亡き後、彼との息子ジャックを連れ、同じくユダヤ人でロスチャイルド財閥の顧問弁護士エミール・ストロースと再婚し、花形サロンを形成した。ジャックの学友マルセル・プルーストは、小説『失われた時を求めて』の中で、彼女をモデルにゲルマント公爵夫人を描いている。

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