8月22日1862年【C.ドビュッシー】

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クロード・アシル・ドビュッシー
Claude Achille Debussy

Claude Debussy ca 1908, foto av Félix Nadar.jpg

[ 作曲家 / フランス ]
1862年8月22日-1918年3月25日 55歳没
伝統的な和声理論にとらわれない独自の手法で音の色彩を追究し、同時代のモネ(1840-1926)やルノワール(1842-1919)らをはじめとする新しい芸術運動になぞらえ印象主義と呼ばれています。その後の作曲家に大きな影響を与えた20世紀を先導する作曲家。

 

生涯

1862年 パリ西郊約20キロの町サン=ジェルマン=アン=レで陶器商を営む父と裁縫師の母のもとに生まれる。
(現在、生家はドビュッシー博物館となっている)
1867年5歳 パリに移る。
1871年9歳 ショパンの弟子であったモーテ夫人のレッスンを受ける。彼の才能を見抜いた夫人は無償でレッスンををし、ショパンについても多くのことを教え、後(1915年)に、ドビュッシーはショパン『練習曲集』を校訂する。
1872年10歳 パリ音楽院のピアノ科に入学。卒業に必要な一等賞がピアノ科で取れず、二等賞であったためピアニストの道をあきらめる。
1880年18歳 伴奏科で一等賞を得る。
1882年20歳 歌曲『星の輝く夜』を出版。

1884年22歳 3度目の挑戦でローマ大賞を受賞し、その副賞としてローマ留学するが、予定より早く留学を切り上げ1887年にパリへ戻る。
パリでは芸術家の集うカフェ「黒猫」に出入りするなど前衛的文学に触れ、ヴェルレーヌやマラルメの詩にもとづく歌曲を作曲した。

1889年1月 国民音楽協会に入会し、エルネスト・ショーソン(1855-1899)ら新たな人脈と発表の場を得、6月のパリ万国博覧会でジャワ音楽ガムランを聴き、2度目に訪れたバイロイト音楽祭ではアンチ・ワグネリアンを主張するようになるなど、人や文化の多大な影響を受けて転機となる1年となった。
1893年4月30歳 カンタータ『選ばれた乙女』、同年『弦楽四重奏曲』、1894年『牧神の午後への前奏曲』などの初演が高い評価を得る。

1902年40歳 オペラ『ペレアスとメリザンド』初演が大成功をおさめ、一流作曲家として認められるようになる。

『ペレアスとメリザンドPelléas et Mélisande 』

1904年42歳 作曲の弟子ラウール・バルダックの母エンマと駆け落ちし、以降妻のもとには戻らなかったことから、友人の多くはドビュッシーのもとを去った。
1905年10月43歳 印象主義音楽および近代音楽を代表する作品、交響詩『海』初演。ピアノ曲集『映像 第1集』を発表し、新たな境地を見せる。

1908年 『子供の領分』作曲し刊行される。妻と離婚し、エンマとの間に誕生した娘クロード=エンマ(愛称シュシュ)に捧げられている。

『子供の領分 Children’s Corner』
ピアノ:A.ミケランジェリ(1920–1995)

1910年代には『前奏曲集第1巻・2巻』『12の練習曲』『白と黒で』など、20世紀前半のピアノ音楽で重要な作品が生まれる。
1914年7月51歳 第1次世界大戦勃発。大腸癌を発病。
1917年7月54歳 『ヴァイオリン・ソナタ』を療養地サン=ジャン=ド=リューズでの再演が、ドビュッシー最後の公開演奏となった。
1918年 年初から床を離れられなくなり3月25日55歳で亡くなる。パッシーの墓地に眠る。


ドビュッシー:交響詩「海」、牧神の午後への前奏曲、夜想曲


Debussy: The Complete Works


ドビュッシーとの散歩 (中公文庫)

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