ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
Berliner Philharmoniker

【本拠地】ドイツ ベルリン
【ホール】ベルリン フィルハーモニーホール
【設立年】1882年5月1日
【公式HP】https://www.berliner-philharmoniker.de/
【公式YouTube】https://www.youtube.com/user/BerlinPhil
【デジタル・コンサートホール】https://www.digitalconcerthall.com/ja/home
【公式Twitter日本語】https://twitter.com/berlinphiljapan

フルトヴェングラー、カラヤン、アバドと、巨匠と呼ばれる指揮者が音楽監督を引き継ぐ、世界のオーケストラの頂点という評価が多いベルリンを拠点とするオーケストラ。
伝統を特徴とするウィーン・フィルと違い、多国籍の団員で構成され、現代曲も積極的に取り入れる選曲やデジタルコンサートなどの試みなど、運営面でも時代の最先端を行く。

歴史

1882年5月1日、ベンヤミン・ビルゼが監督するオーケストラから脱退したメンバー54人が母体となり、6人のメンバーを加えて自主運営楽団として発足した。団員の平均年齢が30歳未満という若い人中心のオーケストラであった。
最初の定期演奏会はフランツ・ヴェルナー指揮で1882年10月23日。
1884年にはブラームス(1833-1897)が自作の交響曲第3番を指揮、ピアノ協奏曲第1番を弾き、ドヴォルジャークも自作の指揮を行った。1887年、ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)を招いて以降、急速に成長した。
1895年から常任指揮者を務めたニキシュ(1855‐1922)が1922年1月に亡くなり、フルトヴェングラー(1886-1954)が常任指揮者に就任。彼はナチスの政策を芸術家の立場から批判(ヒンデミット事件)し、ユダヤ人演奏家への援助に尽力した。ベルリンフィルは、第二次世界大戦中も停電・空襲が頻発する中活動を続け、1944年1月には旧フィルハーモニーが爆撃で焼失したが、ベルリン陥落の2週間前まで会場を移しながら演奏会を行った。
戦後、チェリビダッケは常任指揮者として同楽団を導く一方、フルトヴェングラーのナチス擁護容疑の裁判における無罪獲得にも尽力した。フルトヴェングラーは1947年5月末に「歴史的復帰演奏会」で復帰をし、1952年から亡くなる1954年11月まで常任指揮者を務めた。
フルトヴェングラーの死後、1955年4月より常任指揮者にはチェリビダッケではなくカラヤンが終身常任指揮者に就き、楽団員の国際化と録音活動に力を注いだ。

1963年、本拠地ホールとなるフィルハーモニーが完成。
黄色いテントとも表現される五角形のような金平糖のような形は、1960年代に当時最先端の技術を使い、音響効果を追求して造られた。外観だけでなく内部も、段差の多い客席でユニークな構造をもつ。

1989年カラヤンの後任の常任指揮者選出から、楽団員が自分たちで常任指揮者を選ぶ方式となった。
ベルリン・フィル特有のこの方法は、ローマ法王選出に例え「音楽界のコンクラーヴェ」とも呼ばれている。カラヤンは就任以来四半世紀にわたり、西ドイツからの潤沢な資金を利用して一流の奏者を集め、独裁的な運営により黄金時代が続いた。
1982年、カラヤンと楽団員が女性のクラリネット奏者「ザビーネ・マイヤー」の入団をめぐり対立(ザビーネ・マイヤー事件)。楽団員側はベルリンの音と合わない事を理由に反対したが、当時のベルリン・フィルは伝統的に男性団員以外の入団は認めていなかった事が原因とされる。
カラヤンは彼女の採用を強く主張し、それ以降対立が多くなり、終身常任指揮者の座にあったが、死去直前の1989年4月に辞任した。(マイヤーは自ら身を引き、この件で有名なり世界中の主要オーケストラと共演することとなった)

9代目常任指揮者は、クラウディオ・アバド(1933-2014)。
2002年、健康上の問題でアバドが辞任。後任のサイモン・ラトルはベルリン・フィルを政府から完全に独立させた。

名称について

2002年まで”Berliner Philharmonisches Orchester”と”Berliner Philharmoniker”という2つの名前を持っていた。
理由は、かつてベルリン市文化局に属する市営のオーケストラと同時に、自主興行団体(共通の楽団員で構成される別組織)として、独立の演奏活動も行っており、市営オーケストラとして演奏会を行う際は”Berliner Philharmonisches Orchester”(略称BPO)、自主興行団体としてレコーディング等を行う場合は”Berliner Philharmoniker”というように名称を使い分けていた。
2003年、独立法人化され”Berliner Philharmoniker”略称BPhに名称が統一された。

日本との関わり

1957年、カラヤンを指揮者として初来日以来、数年おきに来日している。
高い人気をもち、来日公演のチケットは高額にもかかわらず入手が困難で、2009年から開始された映像配信事業「デジタル・コンサート・ホール」へのアクセス数が最も多い国は(ドイツ本国を除く)日本である。同サイトは、2010年11月には独語・英語に次ぐ3番目の言語として日本語完全対応となっている。
日本人の団員は、1959年から2001年まで、ヴィオラ奏者の土屋邦雄が初の日本人団員として加入しており、1977年に入団した安永徹は、1983年から2009年3月まで日本人としては初めて第1コンサートマスターを務め、日本で大きな話題となった。
2010年12月、樫本大進が第1コンサートマスターに就任。

コンサート

【ジルヴェスターコンサート】
1948年12月31日に創始。
大晦日に行われるこのコンサートは翌1月1日のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートとともに全世界に中継される。

【ヴァルトビューネ】
“ヴァルトビューネ”にある野外音楽堂で、毎年6月の最終日曜日に開かれる野外コンサート。
約2万人が集まるコンサートの最後には、定番のアンコールピースとしてパウル・リンケ作曲の「ベルリンの風」が演奏され、ロンドンで行われるPromsのような手拍子だけでなく、野外ということもあり線香花火、指笛など大きな盛り上がりを見せる。

【ヨーロッパコンサート】
アバドを音楽監督に迎えた1991年より、ベルリン・フィル創立記念日の5月1日を記念して、ヨーロッパ各地の歴史的な建築物やホールで開かれるコンサート。

その他の活動

【デジタル・コンサートホール】
チェロ奏者でメディア部門の代表でもあるオラフ・マニンガーによる発案により2009年から開始された「DCH」とも呼ばれる映像配信ポータルサイト。
2010年11月より日本語版サイトが完成。

【動画配信】
ベルリン・フィルハーモニーで行なわれる年間約30回のライブ中継をリアルタイムで最大1080pの画質で配信している。
すべての演奏会は数日内にアーカイブ・コーナーにアップされ、それらにはハイライト映像と出演演奏家によるインタビューが付加されている。
スペシャル・コーナーでは教育プロジェクトや関連映画などが視聴できる。

歴代指揮者

ルートヴィヒ・フォン・ブレナー(1882年 – 1887年 常任指揮者)
ハンス・フォン・ビューロー(1887年 – 1892年 常任指揮者)
アルトゥル・ニキシュ(1895年 – 1922年 常任指揮者)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1922年 – 1945年 常任指揮者)
レオ・ボルヒャルト(1945年 常任指揮者)
セルジュ・チェリビダッケ(1945年 – 1952年 常任指揮者)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1952年 – 1954年 終身指揮者)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1955年 – 1989年 終身指揮者・芸術監督)
クラウディオ・アバド(1990年 – 2002年 首席指揮者・芸術監督)
サイモン・ラトル(2002年 – 2018年 首席指揮者・芸術監督)
キリル・ペトレンコ(2019年 – 首席指揮者・芸術監督)

公式 YouTube

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