10月21日1912年【G.ショルティ】

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サー・ゲオルグ・ショルティ
Sir Georg Solti

[ 指揮者・ピアニスト / イギリス ]
1912年10月21日-1997年9月5日 84歳没
ハンガリー出身、ドイツ、のちイギリス国籍で活躍した指揮者。
シカゴ交響楽団の音楽監督として名声を博した。


ショルティ自伝

 

生涯

1912年 ハンガリーのブダペストに生まれる。一家はもともとシュテルン(「星」の意味)というユダヤ系の姓を名乗った。父親がハンガリーで民族主義が高まるのを感じ、子供らの将来のためにハンガリー風のショルティに改姓した。
1918年6歳 ピアノを習い始める。
1924年12歳 リスト音楽院でヴェイネル( 1885-1960)、バルトーク(1881-1945)、コダーイ(1882-1967)、ドホナーニ(1877-1960)らから、ピアノ、作曲、指揮などを学ぶ。
1925年13歳 コンサートで聞いたエーリヒ・クライバー(カルロス・クライバーの父)指揮のベートーヴェン『交響曲第5番』を聴き、指揮者を志す。
1930年18歳 リスト音楽院を卒業後ブダペスト国立歌劇場でコレペティ(指揮者の能力を備えた歌手の練習のためのピアニスト)に就職。

1936年24歳 ザルツブルク音楽祭のオーディションに受かったことをきっかけに、同年と翌年のザルツブルク音楽祭においてトスカニーニ(1867-1957)の助手を務めた。
1938年3月11日25歳 ナチス・ドイツがオーストリア併合した日にブダペスト歌劇場『フィガロの結婚』で指揮者デビュー。ユダヤ系だったことから、再びブタペストの指揮台に立つことはなかった。

ナチスのユダヤ人迫害から、トスカニーニの勧めでアメリカへ逃れることを決意し1939年8月15日ブダペストを旅立つ。見送りに来た父に「1週間の別れで泣くなよ」と声をかけたが、戦後まで家族と会うことはできず1943年に父が病死し、その時が父を見た最後となった。戦争が始まり、トスカニーニ夫人から貰った所持金が底をついてしまいアメリカへ渡ることはできず、スイスで生活を送ることとなる。
1942年30歳 ジュネーブ国際コンクールのピアノ部門で優勝しピアニストとしてデビュー。

1946年34歳 終戦直後ハンガリーでの復職を望んだが断られ、トスカニーニとエーリヒ・クライバーの後ろ盾でナチス崩壊直後のドイツ、廃虚のミュンヘンでバイエルン州立歌劇場音楽監督に就く。この年、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)から彼自身の作品の指揮について指導を受けた。
1951年39歳 ザルツブルク音楽祭にデビュー。
1952年40歳 フランクフルト歌劇場の音楽監督に就任(-1961年)。
1953年41歳 サンフランシスコ歌劇場『エレクトラ』の指揮でアメリカデビュー。

1958年46歳 英デッカ(現ユニバーサル)のプロデューサー、ジョン・カルーショウが「従来のワーグナー指揮者にない感性と聴覚の鋭さ、すべての旋律を切り立たせる力を備えた鬼才」としてショルティを起用した、ウィーンフィルとのワーグナー『ニーベルングの指輪』(世界初全曲録音)が、世界でベストセラーとなる。これにより指揮者としての評価が国際的に高まった。
1961年49歳 イギリスのコヴェント・ガーデン王立歌劇場音楽監督に就任(-1971)。

1969年57歳 シカゴ交響楽団の音楽監督に就任。

タンホイザー序曲~ワーグナー:管弦楽曲集

 

シカゴ交響楽団の音楽監督として22年在任し、同交響楽団の世界的評価を高めた。シカゴ交響楽団で作った響きは、「ウィーン・フィルのしっとりした響きより、ややドライな弦楽器、躍動的、かつ長い息で吹き切る木管・金管楽器による明晰さとバランスを重視」とショルティが語っている。

1972年60歳 ドイツ国籍からイギリス国籍を得て帰化し、ナイトの称号を授与。

ベートーヴェン:交響曲第9番
ロンドンフィルハーモニー/ジェシー・ノーマン(ソプラノ)
1986年プロムス/ロンドン・ロイヤルアルバートホール

1983年71歳 バイロイト音楽祭で『ニーベルングの指環』指揮。これがバイロイト音楽祭最後の登場となった。
1991年79歳 シカゴ交響楽団の音楽監督を辞し、桂冠指揮者に。死の直前までシカゴ交響楽団を中心に指揮活動を続けた。

モーツアルト : 3台のピアノのための協奏曲 K.242
指揮:ショルティ
ピアノ:ショルティ/バレンボイム(1942-)/シフ(1953-)

1992年80歳 戦争に翻弄され続けた経験から「音楽が持つ平和使節としての特別な力」を体現化する「ワールド・オーケストラ・フォア・ピース」の構想を、チャールズ皇太子とダイアナ妃主催でバッキンガム宮殿にて開かれたショルティ80歳記念演奏会の場で発表。
1995年83歳 ジュネーヴで開催された「国連50周年記念演奏会」にて、世界各地のオーケストラに所属する40カ国余り81人の演奏家から編成される「ワールド・オーケストラ・フォア・ピース」による初演を成功させ、3年越しの構想を実現させた。
1997年9月5日84歳 休暇中の南フランスのアンティーブで、就寝中に心筋梗塞で亡くなる。
敬愛するバルトークの墓の隣に眠る。

バルトーク:管弦楽のための協奏曲

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