11月28日1829年【A.ルビンシテイン】

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アントン・グリゴリエヴィチ・ルビンシテイン
Анто́н Григо́рьевич Рубинште́йн
Anton Grigoryevich Rubinstein

[ピアニスト・作曲家・指揮者・教育者/ロシア]
1829年11月28日 – 1894年11月20日 64歳没
ロシアピアノ界の源流となるピアニスト。教育者で、音楽院を創設するなど後進の教育においても大きな貢献をしました。
弟のニコライも著名なピアニスト。


Caprice Russe Op. 102/Piano Concerto No 5 in E Fla

 

『ピアノ協奏曲 第1番 Op.25
ピアノ:グリゴリオス・ザンパラス
指揮:ヨン・セアンデル・ミッチェル
ボフスラフ・マルティヌー・フィルハーモニー管弦楽団

生涯

1829年 ロシア領ポドリスク地方ヴィフヴァチネツ( 現モルドバ共和国/沿ドニエストル共和国のオファティンツィ)にユダヤ系ロシア人の家庭に生まれる。父は鉛筆製造業者で、母はポーランド出身。
5歳から母にピアノの手ほどきを受けた後、モスクワでピアノを学ぶ。
1838年9歳 最初の演奏会を開く。
1840年11歳 パリへ渡り、パリ音楽院への入学を目指すが失敗。
F.ショパン(1819-1849)、F.リスト(1811-1886)と面識をもち、リストからは指導を受けた。その後ヨーロッパからロシアにかけて演奏会を開き成功を収める。
1848年19歳 サンクトペテルブルクを拠点とし、パーヴロヴナ大公妃のピアニスト、オペラの指揮者として活躍。ロシアを含むヨーロッパやアメリカで精力的に演奏会を開き、ロシアのピアニストとして初めて世界的名声を博してロシア・ピアノ流派の祖となった。
1859年30歳 ペテルブルクのロシア音楽協会を設立。オペラ中心だったロシア音楽界活動に交響曲や管弦楽、室内楽曲など、ヨーロッパの伝統の定着に貢献した。また、ロシア人としては初めて、オペラから交響曲、歌曲までのすべての19世紀のジャンルで作品を残した。
1862年33歳 ロシア初の専門的な音楽教育機関、サンクトペテルブルク音楽院設立。
1867年まで同音楽院の院長を務め、この時期の弟子にはP.チャイコフスキー(1840-1893)がいる。
1871年42歳 ウィーンフィルハーモニー・コンサートの指揮者を翌年まで務める。
1887年58歳 サンクトペテルブルク音楽院の院長に復職(-1890)。

ピアニストとしても伝説的巨匠であり、今日に至るロシアピアノ界の全門閥のルーツとされる。
今日の国際コンクール、国際マスタークラスの制度などは彼の提案したスタイルであり。また弟のニコライ( 1835-1881)もピアニスト、指揮者として活躍し、1866年9月1日モスクワ音楽院を創設して初代院長を務めており、兄弟でロシアに高水準かつ公的な音楽教育の確立という大きな功績を残した。

1894年11月20日64歳 晩年は心臓を病み、ペテルブルク近郊のペテルゴフで亡くなる。

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