9月11日1825年【E.ハンスリック】

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エドゥアルト・ハンスリック
Eduard Hanslick

[ 音楽評論家 / オーストリア ]
1825年9月11日-1904年8月6日 78歳没
音楽評論家として、シューマン(1810-1856)やブラームス(1833‐1897)を擁護し、当時絶大な人気と影響力を与えたR.ワーグナー(1813-1883)、F.リスト(1811‐1886)、ブルックナー(1824‐1896)を批判し、ワーグナー派とはドイツ音楽界を二分する一大論争を巻き起こしました。

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生涯

1825年 プラハに生まれる。母方はユダヤ人の家系。
プラハ大学、ウィーン大学で法律を学ぶ。哲学者ツィンマーマンや音楽史学者アンブロースらとの交際により批評精神を養う。
1854年29歳 音楽美学の古典的名著として知られる『音楽美論』を刊行。
1856年31歳 ウィーン大学で教鞭をとる。1870‐95年正教授。
30代から執筆していた新聞への音楽評論は、引退するまで「 Neue freie Presse 」へ寄稿し続け、引退後も公演に関する記事を書き続けた。
1904年8月6日にバーデン・バイ・ウィーンで死去。

『音楽美論』(1854年初版)において、”音楽は音楽そのもの以外何ものをも表現しない”と”主張。
器楽では旋律、声楽では歌詞、そして作品の音楽様式を重要視することを主張し、オペラや標題音楽を否定。「絶対音楽」を主張していたシューマン(1810-1856)やブラームス(1833‐1897)を擁護し、R.ワーグナー(1813-1883)、F.リスト(1811‐1886)、ブルックナー(1824‐1896)を「標題音楽」の代表的作曲家として批判した。
ワーグナー派とはドイツ音楽界を二分する一大論争を巻き起こした。


音楽美論 (岩波文庫 青 503-1)

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