12月8日1865年【J.シベリウス】

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ジャン・シベリウス
Jean Sibelius

[ 作曲家 / フィンランド ]
1865年12月8日- 1957年9月20日 91歳没
フィンランドを代表する作曲家。
7曲の交響曲、多数の音詩及び交響詩、劇音楽・歌曲・ピアノ曲など多岐に渡る作品を残し、『交響曲第2番』『フィンランディア』『ヴァイオリン協奏曲』など代表曲をはじめ、世界中で演奏されています。

Jean Sibelius, 1913.jpg

『フィンランディア Op.26』

生涯

1865年 ヘルシンキの北に位置するハメーンリンナに生まれる。
2歳の時、医師であった父が他界。
1875年10歳 最初の作品、ヴァイオリンとチェロのための『水滴』を作曲。
1885年20歳 ヘルシンキ大学で法律を学ぶ傍ら、ヘルシンキ音楽院(現シベリウス・アカデミー)でヴァイオリンと作曲を学ぶ。
1889年24歳 政府の奨学金を得てベルリンとウィーンへ留学。この時期にブラームスと出会う。
帰国後、ヘルシンキ音楽院で教鞭をとり、1892年には『クレルヴォ交響曲Op.7』、翌年には交響詩『エン・サガ』を自ら指揮した初演が成功を収め、ヘルシンキの芸術家グループの中心的な存在となる。
1892年27歳 アイノ・ヤルネフェルトと結婚。六女をもうけた。(1人は2歳で他界)

1897年32歳 フィンランド政府の年金支給を受けるようになる。
1899年34歳『交響曲第1番』を、1902年には『交響曲第2番』を自ら指揮して初演し、大成功を収める。イギリスやドイツで自作を指揮し、アメリカでも作品が演奏されるようになり、国際的な名声が高まる。

『交響曲第2番』
ブロムシュテット(1927-)指揮
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団

シベリウスが生まれた頃のフィンランドは帝政ロシアの支配下にあり、ナショナリズムの高まりにより、1917年のロシア革命に乗じて独立した。
その間の1899年にシベリウスが発表した『愛国記念劇』。その7曲目を改作し、1900年に発表された交響詩『フィンランディア Op.26』は、後に歌詞が付けられ、フィンランドでは「第2の国歌」と言われ、名曲として世界に知られている。

1904年39歳 ヘルシンキ郊外のヤルヴェンパーに自邸「アイノラ」を建て、家族とともに転居。平穏な田舎暮らしは作風に大きな影響を与えた。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリニストのオーディションを受けたことがあるシベリウスは、1903年夏 唯一の協奏曲『ヴァイオリン協奏曲OP.47』を作曲し、1904年2月に初演された。しかし不評だったため大幅に改訂し、1905年10月19日ドイツにて、R.シュトラウス(1864-1949)指揮による改訂版初演は成功し、代表作の一つとなった。

『ヴァイオリン協奏曲 Op.47』
ヴァイオリン:マクシム・ヴェンゲーロフ(1974-)
指揮:バレンボイム(1942‐)
シカゴ交響楽団

1908年43歳 喉の腫瘍の摘出手術を受けて以降、作風は内面的となる。
1911年 傑作と言われる『交響曲 第4番 Op.63』作曲。

『交響曲 第4番』
指揮:サイモン・ラトル(1955‐)
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

1915年12月5日 シベリウス50歳の誕生日を祝う国家的記念行事のために作曲された『交響曲第5番』を自らの指揮で初演。この頃にはフリーメイソンのメンバーだったとされる。
1923年58歳『交響曲 第6番 Op.104』1924年『交響曲 第7番 Op.105』を発表。評論家セシル・グレイ(1895‐1951)は「ベートーヴェン以後、最大の交響曲作家」評した。
1925年60歳 交響詩『タピオラ Op.112』以後、作品の発表はほぼなくなった。
1935年 70歳の誕生日に公の場に現れて以降、アイノラ荘に隠居し、1957年脳出血により91歳で亡くなった。
ヘルシンキの大聖堂で国葬が営まれ、アイノラの庭に眠る。

彼の肖像は、ユーロ導入までのフィンランド100マルッカ紙幣に使用された。

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