7月16日1858年【E.イザイ】

クラシック音楽情報
音楽家の誕生日 一覧

ウジェーヌ=オーギュスト・イザイ
Eugène-Auguste Ysaÿe

[ ヴァイオリニスト・作曲家・指揮者 / ベルギー ]
1858年7月16日-1931年5月12日 72歳没

Eugène Ysaÿe part.jpg

シューベルト:アヴェ・マリア
ヴァイオリン:イザイ

生涯

1858年 リエージュに生まれる。
5歳の頃からヴァイオリニストであった父親にヴァイオリンの指導を受ける。
1865年7歳 リエージュ音楽院に進み、アンリ・ヴュータン、デジレ・ヘインベルクに師事。
1876年18歳 パリへ留学(-1879)。
1882年24歳 二度目のパリ滞在(-1886)。ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の前身であるビルス管弦楽団(Bilse Orchestra)のコンサート・マスターとして、またアントン・ルビンシュタインの援助を受け行った、スカンジナビア、ロシア、ハンガリーにおける演奏活動により名声を高めた。この時期、ヨーゼフ・ヨアヒム、クララ・シューマン、フランツ・リスト、アントン・ルビンシュタインなどと交流し、A・ルビンシュタインとは後に共に演奏活動を行うことになる。

業後はベンヤミン・ビルゼの楽団(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の前身)においてコンサートマスターを務めるかたわらソリストとして演奏活動を行う。この時期にヨーゼフ・ヨアヒムクララ・シューマンフランツ・リスト、後にともに演奏旅行を行うアントン・ルビンシテインなどと親交を結ぶ。

イザイは1885年コンセール・コロンヌと共演したことで決定的な成功を収め、以降欧米各地で名声を博した。イザイのために作品を書いた作曲家にはセザール・フランクカミーユ・サン=サーンスエルネスト・ショーソンなどがいる。1886年にはイザイ弦楽四重奏団英語版を設立し、後にクロード・ドビュッシーの『弦楽四重奏曲』を初演した。指揮者としても活動し、1918年シンシナティ交響楽団の音楽監督に就任している。ニューヨーク・フィルハーモニックからの招聘もあったが、これは多忙な演奏活動のために辞退した。

また1886年ブリュッセル音楽院の教授に就任し、後進の指導にも力を入れた。弟子にはナタン・ミルシテインジョニー・ハイケンスジョーゼフ・ギンゴールドオスカー・シュムスキーウィリアム・プリムローズアルド・フェラレージなどがいる。

没後の1937年からはイザイを記念した「イザイ国際コンクール」が開催され、これはエリザベート王妃国際音楽コンクールの前身となった。

芸風[編集]

演奏家としてはその高い技術と説得力ある表現(多彩なヴィブラートの用法と巧みなテンポ・ルバートが特色として伝えられている)で多くの聴衆を惹き付け、ヴァイオリン音楽に大きな影響を与えた。パブロ・カザルスは「イザイほど正確な演奏ができるヴァイオリニストを聴いたことがない」、カール・フレッシュは「彼は『ヴァイオリンの騎士』、最後の大ヴィルトゥオーゾ、我々の芸術における忘れがたい記念碑として記憶に残り続けるだろう」と述べている。

作曲家としてはヴァイオリンのための作品を中心に残しており、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを強く意識した『無伴奏ヴァイオリンソナタ』がよく演奏され、エリザベート国際王妃音楽コンクールの課題の常連である。しかし一部の作品を除くと未だに演奏機会は少なく、作品の演奏がおしなべて困難であることもあって作曲活動の全貌は明らかになっておらず、いまだに全集の編纂すらない。

作品

彼に献呈された、フランス系のヴァイオリンソナタの最高傑作といわれるセザール・フランク作曲「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」(1886)をはじめ、ルクー「ヴァイオリン・ソナタ」、ショーソン「詩曲」、ドビュッシーやダンディの「弦楽四重奏曲」など、多くの同時代人の作品を初演した。
1886年「イザイ弦楽四重奏団」を設立し、同年にはヴュータンの後任としてブリュッセル音楽院教授を務め(~1898年)、多くのヴァイオリニストを育てた。ロイヤル・コート・オブ・ベルギウム館長、1895年にはコンセール・イザイ管弦楽協会を創設、同年プーニョと二重奏団を結成、1918年にはシンシナティ交響楽団で指揮者を務めるなど活動する。

オペラや協奏曲、小品など多数の作品を残している。代表作は「無伴奏ヴァイオリンソナタ 作品27」(1924)。使用楽器はグァルネリ1740年製デル・ジェズ「イザイ」。楽器の中には小さなラベルが貼られ、赤いインクで「このデル・ジェズは私の生涯を通じて忠実なパートナーだった。イザイ1928」とフランス語で書かれている。彼の国葬で棺の前をクッションに乗せて運ばれた。
1931年5月12日72歳 ブリュッセルにて亡くなる。

イザイ:ソナタ第6番
ヴァイオリン:オーガスティン・ハーデリッヒ(1984-)

没後の1937年からイザイを記念して開催された「イザイ国際コンクール」は、ヴァイオリニストの登竜門「エリザベート王妃国際音楽コンクール」の前身となった。

イザイの栄光

1912年から1914年にかけてニューヨークでコロンビア・レーベルのために吹き込んだ、自作自演2曲を含むアコースティック録音全15曲を収録。1919年にシンシナティ交響楽団を指揮して吹き込んだオーケストラ曲4曲含む。


イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ

桐朋学園在学中から教授アシスタントを務め、首席で卒業した1985年生まれの松田理奈が2010年リリース。
イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番「バラード」より抜粋
ヴァイオリン:松田理奈

[関連サイト]日本イザイ協会

クラシック音楽情報LuckOn

関連記事

  1. 1月10日1948年【ミッシャ・マイスキー】

  2. 8月16日1863年【G.ピエルネ】

  3. 3月8日1714年【C.P.E.バッハ】

にほんブログ村 クラシックブログへ

error: Content is protected !!