1月10日1948年【ミッシャ・マイスキー】

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ミッシャ・マイスキー
Mischa Maisky

[ チェリスト / 旧ソビエト ]
1948年1月10日 - 75歳
人気、実力ともに、現在最も活躍している世界的チェリストのひとり


10 Classic Albums

サン=サーンス:「動物の謝肉祭」より『白鳥』

経歴

1948年 リガ(現ラトヴィア首都)にユダヤ人の家系に生まれる。
8歳からチェロを始め早くから才能をあらわす。
リガ音楽院を経て、1962年レニングラード音楽院付属音楽学校入学。
1965年17歳 全ソビエト連邦音楽コンクール優勝。同年、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団と協奏曲を演奏してデビュー。
1966年18歳 チャイコフスキー国際コンクール6位入賞。コンクール審査員だったロストロポーヴィチに才能を認められ師事。
1969年21歳 姉がイスラエルに亡命したことから、マイスキー一家はソビエト当局の監視下に置かれる。
1970年22歳 当局に逮捕され、強制労働収容所で18か月間の生活を強いられた。出所後兵役を命じられたが、ユダヤ人医師の協力で精神病院に入院し、兵役を回避した。
1972年11月24歳 国外移住を認められ渡米。
1973年25歳 イスラエルに移住。同年カサド音楽コンクール優勝。カーネギーホールでリサイタル。リサイタル後に招かれた匿名の紳士宅で演奏し、紳士より1720年製モンタニャーナのチェロを贈られ、現在もこの楽器を使用している。
1975年27歳 フランスのヴァンス音楽祭で、マルタ・アルゲリッチ(1941-)と知り合い、以降数多く共演、録音する。

グリーク:チェロソナタ
ピアノ:マルタ・アルゲリッチ(1941‐)

1984年から1985年にかけて録音したバッハの無伴奏チェロ組曲全曲の録音により、世界的名声を得た。

バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番

【音楽事務所AMATI HPより】

ラトヴィア共和国生まれ。ロシアで学び、のちにイスラエルに移住。以後、ロンドン、パリ、ベルリン、ウィーン、ニューヨーク、東京をはじめ世界の主要コンサートホールで演奏活動を展開、熱狂的な支持を受け続けている。

マイスキーは、自らを「世界人」と位置づける。「イタリア製のチェロにオーストリアとドイツ製の弦を張り、フランスとドイツの弓で弾いています。娘はフランスで生まれ、長男はベルギーで、次男はイタリアで、末っ子はスイスで生まれました。私は日本の車を運転し、スイスの時計をはめて、インドのネックレスをしています。そして人々がクラシック音楽を評価し、楽しんでくれるところではどこでも、そこで家にいるようにくつろぐことができます。」

ドイツ・グラモフォンの専属アーティストとして、この25年の間にマイスキーは30を超える録音をリリース。そこでの共演もウィーン・フィルベルリン・フィルをはじめロンドン響、イスラエル・フィル、パリ管、オルフェウス室内管、ヨーロッパ室内管など多岐に渡る。
彼の輝かしいキャリアの中でもハイライトの一つは、2000年の活動である。バッハ・プログラムで実に100以上の演奏会を世界で展開、さらにバッハへの深い尊敬は、無伴奏組曲の3度目のレコーディングという形に結実している。

マイスキーの録音は世界各地で高い評価を得ており、これまでに日本のレコード・アカデミー賞を5回、エコー・ドイツ・シャルプラッテン賞を3回、パリのディスク・グランプリ賞、ディアパソン・ドール賞の各賞を受賞、グラミー賞にもノミネートされている。

世界を代表するチェリスト、また数々の主要国際音楽祭の常連でもあるマイスキーは、これまでにバーンスタインデュトワ、ジュリーニ、マゼール、メータ、ムーティ、レヴァイン、アシュケナージシノーポリバレンボイムといった名指揮者たち、さらにアルゲリッチ、ルプー、フレイレ、キーシン、ランラン、P.ゼルキン、クレーメル、バシュメット、レーピン、ヴェンゲーロフ、ジョシュア・ベル、ラクリン、ジャニーヌ・ヤンセンほか世界のトップ・アーティストらと共演している。

シューベルト:アルペジョーネソナタ イ短調 D821

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