2月3日1809年【F.メンデルスゾーン】

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ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ
Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy

[作曲家/ドイツ]
1809年2月3日-1847年11月4日 38歳没
裕福な家庭に育ち、通称「メンコン」と呼ばれるバイオリン協奏曲や結婚行進曲で知られる劇音楽『真夏の夜の夢』、ピアノ曲『無言歌集』など、短い生涯で抒情的な作品を残しました。
また『マタイ受難曲』を演奏し、ほとんど公で演奏されなくなっていたJ.S.バッハ作品が再評価されるきっかけとなったこと、ライプツィヒ音楽院を設立したことも大きな功績です。


メンデルスゾーン (作曲家の物語シリーズ)

生涯

1809年2月3日 ドイツのハンブルクに、哲学者モーゼスを祖父に、ユダヤ系の銀行家を父として、裕福な家庭に生まれる。
1811年2歳 一家でベルリンへ移住。自宅サロンには、画家、音楽家、科学者などが度々集っていた。
1815年6歳 母からピアノを学ぶ。音楽の才能をあらわし神童と呼ばれる。
1818年9歳 ベルリンでピアニストとしてデビュー。
1819年10歳 ツェルターに対位法を学ぶ。
1821年12歳 ヴァイマールに住む72歳のゲーテを訪問し2週間ほど滞在。ゲーテはメンデルゾーンのピアノ演奏に感銘を受けたという。
1823年14歳 バッハの『マタイ受難曲』の写筆スコアを母方の祖母よりクリスマス・プレゼントとして贈られる。

1825年16歳 父と共にパリに行き、パリ音楽院の院長ケルビーニ(1760-1842)や、フンメル(1778-1837)、モシェレス(1794-1870)、ロッシーニ(1792-1868)らに出会う。
1826年17歳 シェイクスピアの戯曲を題材とした『夏の夜の夢 序曲 Op.21』作曲。
1829年3月11日20歳 ベルリンにてバッハ『マタイ受難曲』の公開演奏を、バッハ死後初めて行う。ピアノで通奏低音を担当しながら指揮した公演は大成功をおさめた。聴衆には、国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世や哲学者ヘーゲル、ハイネらがおり、ヨーロッパでバッハ作品が見直されるきっかけとなった。
その後イギリスをはじめヨーロッパ各地で演奏を行い、その経験から着想し『フィンガルの洞窟』(1830)『交響曲第3番”スコットランド”』(1842)『交響曲第4番”イタリア”』(1833)などを作曲。(彼の交響曲の番号は、作曲順ではなく出版順)

『交響曲 第4番 Op.90 イタリア』
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ(1962‐ )
hr交響楽団 2012.1.16

1833年24歳 デュッセルドルフ市楽長に就任したが、1年で辞職。
1835年26歳 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となる。
1841年32歳 ベルリンの宮廷礼拝堂楽長に就任。

『厳格な変奏曲 Op.54』(1841)
ピアノ:アルフレッド・ブレンデル(1931‐ )

無言歌集『春の歌』Op.62-6(1842)
ピアノ:バレンボイム(1942‐ )

1843年34歳 設立資金を集め、ライプツィヒ音楽院を開校し学院長となる。作曲とピアノの教授にロベルト・シューマンが就いた。

「真夏の夜の夢」より『結婚行進曲』
指揮:クラウディオ・アバド(1933-2014)
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

ヴァイオリン協奏曲 Op.64 (1844)
指揮:ラン・シュイ Lan Shui(1957-)
ヴァイオリン:Gシャハム Gil Shaham(1971-)
国立オーケストラ、シンガポール交響楽団(2016年演奏)

1847年11月4日38歳 ライプツィヒにて脳卒中で亡くなる。

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