9月15日1876年【B.ワルター】

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ブルーノ・ワルター
Bruno Walter

[ 指揮者 / ドイツ ]
1876年9月15日-1962年2月17日 85歳没
フルトヴェングラー(1886-1954)、トスカニーニ(1867-1957)とともに19世紀生まれの「三大巨匠」と呼ばれる20世紀を代表する指揮者

 


ブルーノ・ワルター: 音楽に楽園を見た人

生涯

1876年 ドイツ系ユダヤ人の父親と、東ヨーロッパから移住したユダヤ系の母親のもとベルリンに生まれる。幼少期からピアノに親しむ。
1884年8才 ベルリンのシュテルン音楽院でピアノを学ぶ。
1789年13才 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のポピュラーコンサートでピアニストとしてイグナーツ・モシェレス(1794-1870)のピアノ協奏曲を演奏。

音楽院卒業後、ピアニストとしてデビューしたが、ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)指揮の演奏会を聴き、指揮者を目指す。
1893年17歳 ケルン市立歌劇場に指揮者としてデビュー。
1894年18歳 ハンブルク歌劇場指揮者となり、1891年から97年まで音楽監督だったマーラー(1860-1911)に認められ、多大な影響を受けるとともに親友として交流を深める。
1899年23歳 マーラー『交響曲第1番”巨人”』と『交響曲第2番”復活”』をピアノ4手版へ編曲し、出版。
ワルターとマーラーはこれらの曲をはじめ、シューベルトやワーグナーなどさまざまな作品を連弾で楽しみ、マーラーの死後には交響曲第9番『大地の歌』の初演を行うなど、マーラー演奏の権威となった。

その後マーラーとともにウィーンへ転任し、ウィーン音楽院(現ウィーン国立音楽大学)で教鞭をとる。
この頃からユダヤ系を示す「シュレジンガー」という姓を除き「ブルーノ・ワルター」と名乗るようになった。
ブレスラウ市立歌劇場、プレスブルク市立歌劇場、リガ市立歌劇場で楽長をつとめた後、
1901年25歳 マーラーの招聘によりウィーン宮廷歌劇場の副指揮者となる。以後ウィーン宮廷歌劇場(ウィーン国立歌劇場)楽長、ミュンヘン宮廷歌劇場(バイエルン国立歌劇場)音楽監督、ベルリン市立歌劇場(ベルリン・ドイツ・オペラ)音楽監督、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団楽長などを歴任。
ヨーロッパの一流オーケストラやザルツブルク音楽祭、アメリカのオーケストラにも度々招かれる人気指揮者として活躍。

1910年34歳 シュトラスブルク歌劇場に客演した際にフルトヴェングラーに初めて会う。
1913年37歳 バイエルン王立歌劇場監督(-1923)

1919年43歳 ベルリン・フィルとのブルーノ・ワルター・コンサートが始まり(-1933)メニューイン(1916年-99)のベルリン・デビューで共演、またホロヴィッツ(1903–89)やラフマニノフ(1873-1943)とも共演した。


ワルターとメニューイン

1923年47歳 渡米。ニューヨーク・フィルを指揮。
1924年48歳 コヴェントガーデン王立歌劇場首席指揮者就任。(-31年)
1925年49歳 ベルリン市立歌劇場音楽監督就任(-1925)
1929年53歳 ベルリン・フィルに専念するため辞任したフルトヴェングラーの後任としてライプツィヒ・ゲヴァントハウス楽長に就任。(-1933)

モーツアルト:交響曲 第40番 K.550
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1930年3月演奏)

1933年57歳 ナチス政権が成立し、ユダヤ系であるワルターは迫害を受けるようになり、嫌がらせや殺人予告、楽屋に銃弾を撃ち込まれるなどし、オーストリアのウィーンへ移住。
1936年60歳 ウィーン国立歌劇場監督となり(-1938)、ウィーン・フィルと多くの名盤を録音。
次第にウィーンでもナチスの勢力は増大し、ワルターが『トリスタン』を指揮している時に悪臭ガス弾を投げ込まれる事件が起こったが、最後まで演奏をやり遂げた。

モーツアルト:ピアノ協奏曲 第20番 K.466
指揮・ピアノ:ブルーノ・ワルター
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(1937年演奏)

1938年ナチスを逃れ米国に渡る。47年から2年間ニューヨーク・フィルの常任を務めたほかには、常任には就かなかった。晩年は録音専用オーケストラを得て、ステレオ録音を多く行なう。

1938年3月61歳 オーストリアがナチス・ドイツに併合されたため、スイスのルガーノへ移住。
この年創設されたルツェルン音楽祭にトスカニーニとともに招聘される。
その後フランス国籍を取得、フランスなどドイツとオーストリアの影響の及ばない地域を中心に演奏活動を続けた。

1939年夏 第2回ルツェルン音楽祭に招かれるが、直前に次女のグレーテルが夫に射殺され、その夫も自殺するという悲劇が起こり、ワルターに代わりトスカニーニが急遽スケジュールをキャンセルして、マーラー『復活』を指揮した。
1939年63歳 第二次世界大戦が勃発し戦火が激しくなり、10月31日トスカニーニの招きでアメリカへと逃れ、NBC交響楽団、ニューヨーク・フィル、メトロポリタン歌劇場で活躍。
1947年71歳ニューヨーク・フィルハーモニック音楽顧問に就任(-1949)。
欧米で精力的に活躍を続けた。

1957年3月80歳 心臓発作で倒れ休養し、1年後に復帰。
彼の指揮で録音することを目的に結成されたコロンビア交響楽団とともにステレオ録音を数多くの名演を残す。
1960年84歳 ロスアンジェルス・フィルの演奏会で新進気鋭のヴァン・クライバーン(1934-2013)と共演し、演奏会から引退。

楽屋でモーツアルトの霊と交信していたという伝説が残っているほどモーツアルトを得意とし、生涯最後の録音はモーツアルトのオペラ序曲集だった。
また、作曲家として2曲の交響曲、室内楽曲、歌曲などを残している。

1962年2月17日、心不全のためカリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で85年の生涯を閉じた。スイスのルガーノに眠る。


ブルーノ・ワルター指揮 モーツァルト:交響曲名演集

1920年代のSPレコードから1960年代のステレオ録音に至るまで多くの録音が遺されている。マーラー、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーなどのドイツ・オーストリア系音楽やベルリオーズ、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、バーバーなど幅広い録音が残されている。

ワルターのモットーは「常に微笑を忘れずに」であり、自伝には「人生のほとんどすべてのことは寛容の精神で対処できる」「自分は教育的指揮者だ」「自分の中にはアポロ的な部分とディオニュソス的な部分が両立している」と述べている。
演奏は、優雅で豊かな情緒をたたえ、感情を荒々しく出すことなく温かい人間性を感じさせるのが特色。


ワルター 不滅のライヴ/ Dvorak | Beethoven | Mahler | Chopin | Goldmark | Brahms | Ravel | Mozart) [6CD]

マーラー『交響曲第1番「巨人」』
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団/1961年録音

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