10月22日はフランツ・リストの誕生日。
「今日誕生日の音楽家 リスト」の補足です。
教会から生まれたクラシック音楽が宮廷で発展した古典派から、場を一般人が楽しむサロンに移したロマン派といわれる時代の代表的作曲家。1811年に生まれ、11歳の時に晩年のベートーヴェンに出会い、1810年生まれのショパンとシューマンと交流をもち、サロンの寵児となり、当時の音楽家としては長命で大きな功績を残しています。
ピアニストとして華々しく活動した背景には、この時期に現在のピアノと同じ音域に広がったこと、ベートーヴェンがピアノ製作者に注文をつけ発展したように、リストのようなピアニストがピアノ製作者を刺激しさらにメカニックな面で洗練されていった「楽器の王様」と呼ばれるピアノの発展があります。
オーケストラで演奏する前に、音域が広く一度に複数の音を出すことができる、すなわちひとつの楽器でハーモニーを作ることができる楽器ピアノで演奏し、聴衆の反応をみてオーケストラ演奏の機会をもつという流れの中、リストはオーケストラ用の楽曲をピアノ演奏として完成された編曲を多く残しています。中でも弟子のハンス・フォン・ビューローのために、ヴェルディのオペラ『リゴレット』第3幕の四重唱「美しい恋の乙女よ」を編曲した『リゴレットパラフレーズ』はよく演奏される作品です。
『リゴレットパラフレーズ』(1859)
ダニエル・バレンボイム
原作はこちら
ヴェルディ『リゴレット』
どちらも素晴らしい!作品も演奏も。
余談だけれど、バレンボイムの椅子が高いことに注目してしまった。
ちなみに椅子が低いことで有名なのはグレン・グールド。
リストが語られるとき「『巡礼の年』は聖職者なのに人妻との不倫旅行の作品」とよく言われますが、聖職者となったのは54歳の時で、しかも典礼を司る資格はなく、結婚も自由な下層聖職。
チェルニーやビューローをはじめとする歴史に残るピアニストを数多く指導しており、その際に一切謝礼を受け取らなかったこと、常に第一線で活躍を続けていたことなどから、彼の人格は立派であったと察するのです。そして私の持論「信仰と恋愛は別物」。
そんなリストが人妻マリーと共にイタリアを旅した際に訪れた「エステ荘」はこんな場所。
行ってみたい!
そしてロマン派の次の時代を担うドビュッシー、ラヴェルに大きなインスピレーションを与えた『エステ荘の噴水』を作曲しました。上の画像で分かるように、公園の中央に一本高く上がる噴水とはイメージが違うのです。
F.リスト『エステ荘の噴水』
クラウディオ・アラウ(1903-1991)
C.ドビュッシー『水の反映』
クラウディオ・アラウ
アラウの演奏でまとめたかったけれど見つからず、チリ生まれのアラウ同様、南米生まれのアルゲリッチ若き頃の演奏で。
M.ラヴェル『水の戯れ』
マルタ・アルゲリッチ(1941‐)
ハンガリー語を話せずともハンガリー人としてのアイデンティティを大切にそして、誇りに思っていたリスト。
遠く南米に生まれヨーロッパで認められ世界で活躍したアラウ、アルゼンチンに生まれたユダヤ系のアルゲリッチ・・・。
ちょうど21日に、アメリカ国籍を持つ指揮者パーヴォ・ヤルヴィがNHKの番組で”自分の心は生まれた地、エストニアにある””といった意味の言葉が印象的でした。
音楽に国境はないけれど、それぞれに原風景がある。
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