12月9日1837年【E.ワルトトイフェル】

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エミール・ワルトトイフェル
Émile Waldteufel

[作曲家/フランス]
1837年12月9日-1915年2月12日 77歳没
『スケーターズワルツ』『女学生』やポルカなどのダンス音楽が良く知られ、約300曲のワルツを作曲し「フランスのヨハン・シュトラウス」「フランスのワルツ王」と呼ばれました。

音楽の森 作曲家:エミール・ワルトトイフェルの画像

『スケーターズワルツ Op.183』(1882)
指揮:A.トスカニーニ(1867-1957)
NBC Symphony Orchestra

 

生涯

1837年 フランス北東部ストラスブールにて、ユダヤ人の家庭に生まれる。
父ルイ・レヴィは有名なオーケストラの統率者。
人気の音楽家となる兄レオンがパリ音楽院に入学したのを期に、一家でパリに移住。
1853年16歳 パリ音楽院入学しピアノを学ぶ。同級生にマスネ(1842-1912)やビゼー(1838-1875)がいた。
1857年20歳 パリ音楽院卒業
1865年28歳 ナポレオン3世の皇后ウジェニーの宮廷ピアニスト兼宮廷バレエ監督に就任。パリのオペラ座の舞踏会で指揮を務め、ベルリン、ウィーン、ロンドンでも成功を収めた。
1874年10月 当時英国皇太子だったエドワード7世が臨席する行事で演奏したワルツ『マノロ』をエドワード7世が気に入り、ワルトトイフェルの曲をイギリスに盛んに紹介したことをきっかけに、彼の作品はロンドンの楽壇から世界へ知られるようになる。
1882年『スケーターズ・ワルツ Op.183』作曲。

1883年『女学生』作曲。原題”Estudiantina”は「学生の楽隊の意」。当初四手ピアノのために書かれ、その後管弦楽版が作られ『スケーターズ・ワルツ』とともに代表作となった。

『女学生 Op.191』(1883)

1885年ロンドン、1889年ベルリン、1890年~1891年パリを演奏旅行をするなど、1899年62歳で引退するまで、フランス大統領主宰の舞踏会のためのダンス音楽を作曲・指揮するなど活動を続けた。
1915年2月12日77歳 パリで亡くなる。

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