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3月10日1892年【A.オネゲル】

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アルテュール・オネゲル
Arthur Honegger

[作曲家/フランス・スイス]
1892年3月10日 – 1955年11月27日 63歳没
『パシフィック231』(1923年)を代表作に持つ作曲家。フランス6人組のひとりです。

【フランス6人組の作曲家】
ルイ・デュレ(Louis Durey, 1888-1979)
アルテュール・オネゲル(Arthur Honegger, 1892-1955)
ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud, 1892-1974)
ジェルメーヌ・タイユフェール (Germaine Tailleferre, 1892-1983)
フランシス・プーランク(Francis Poulenc, 1899-1963)
ジョルジュ・オーリック(George Auric, 1899-1983)


生涯

1892年3月10日 フランスのルアーブルにスイス人で音楽愛好家の両親のもと生まれる。父はコーヒーの輸入商社の支配人を務めていた。
母から音楽の手ほどきを受け、幼少よりヴァイオリンと作曲を始めた。
1904年12歳 詩や小説を書き始める。
1905年13歳 教会のオルガニストを経て、ソートゥルィユに和声法と対位法の音楽理論の手ほどきを受けた。
チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の創設者でチューリッヒ音楽院の院長でもあったフリードリヒ・ヘーガー(1841-1927)に勧められ作曲家を志す。
1910年18歳 故郷のルアーブルで最初の作品『ピアノのための3つの小品』出版。
1911年19歳 パリ音楽院に入学。同級生のダリウス・ミヨー(1892-1974)と生涯にわたる親友となる。
第一次世界大戦(1914-1918)の際はスイス軍に従軍し、一時国境警備などにも就く。
まもなくパリに戻り、以降生涯のほとんどをパリで暮らした。

6人組の中で、プロテスタントで、チューリッヒに籍を持ち続け、ドイツ語圏のワーグナーを支持していた彼は、反ワーグナー”の他メンバーとは異質だった。
1921年29歳 『ダヴィデ王』を発表。高い評価を得る。

『ダヴィデ王』ラストシーン

1925年33歳 パリでクーセヴィツキー(1874-1951)によって初演された交響的断章(運動)第1番『パシフィック231』が大成功し、一躍時代の寵児となった。

『パシフィック231』(1923)

1935年43歳 前年から取り掛かった劇的オラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』が完成し、初演が大成功を収める。

聖書や歴史上の人物を主題とした劇場作品や声楽入り作品を数多く残した他、全5曲の交響曲、室内楽から映画音楽まで、幅広く作品を残した。映画音楽でも1927年の長編無声映画『ナポレオン』『うたかたの恋』『魔の山』など50以上の無声映画時代からトーキーまで作曲している。
後年は若手作曲家のための国際マスタークラスを開講し、多くの人材を輩出した。

1945年53歳 音楽的見聞を広めるために、ドイツ、ベルギー、イギリス、オランダ、ポーランド、チェコスロヴァキア、イタリア、スペイン、ギリシャなどヨーロッパの主要な国へ旅行する。
1946年54歳 映画『幽霊』の音楽を担当し、オネゲル自身も出演している。
1947年夏55歳 自作の指揮と講演を行うために訪れたアメリカ、ニューヨークで狭心症に倒れる。
4ヶ月後に回復し、帰国後はドイツやスイスに転地して療養し、治療の一環として食事療法などを行った。
この時期に『クリスマス・カンタータ Une Cantate de Noël』(1953)を作曲。最後の作品となる。
1955年11月27日63歳 パリのモンマルトルの自宅で、血栓症により亡くなる。

『クリスマス・カンタータ Une Cantate de Noël』(1953)』フィナーレ


わたしは作曲家である (1970年)オネゲル著, 吉田 秀和翻訳


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