2月15日1797年【H.スタインウェイ】

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ヘンリー・エンゲルハード・スタインウェイ
Henry Engelhard Steinway

[ピアノ製造技師/ドイツ]
1797年2月15日 – 1871年2月7日 73歳没
世界のピアニストたちが選ぶピアノ、スタインウェイ・アンド・サンズの創業者です。

 

生涯

1797年 ドイツのブラウンシュヴァイクで、林務官の16番目の息子として生まれる、
ナポレオン戦争(1799-1815)で父親や兄達が徴用され、その間に飢餓により母親と子供たちは飢え死にし、父親が戻ってきたときに残されたのはハインリヒを含め3人だけだった。
1812年15歳 落雷による火災ですべての家族を失い、孤児となる。

ナポレオン戦争が終わる頃、木工技術をいかしてオルガン製作工場で働き始め、その後独立しオルガン修理工房を持つ。オルガンの製作と修理作業の中で、フォルテピアノに強い関心を持ち、以後ピアノ製作を開始。
1836年39歳 部品などすべて自分自身で作り、スタインウェイ第一号の高品質のピアノが完成。「シュタインヴェーク」ブランドの名でピアノを作った。
1839年42歳 見本市にスクエアピアノ2台とグランドピアノ1台を出展して1位を獲得。
1850年53歳 パトロンである王侯貴族が凋落し、ヨーロッパでは政情不安になったため、アメリカ合衆国ニューヨーク市へ妻と9人の子供のうち8人と共に移住。ブラウンシュヴァイクの会社は長男のC・F・テオドール・シュタインヴェークが引継ぎ、ピアノ販売業者のフリードリヒ・グロトリアンと組み、1856年から1865年までシュタインヴェークブランドのピアノの製造を続けた。

1853年56歳 スタインウェイ・アンド・サンズ社をマンハッタンのヴァリック通りに設立し、マンハッタン区ヴァリック・ストリート85号の小さなロフトを作業場とした。
1855年58歳 息子ヘンリーJr.が、鋳鉄のフレームに交差弦を張る方法を完成させ、アメリカ工業博覧会に出展。これが評判となり業績を上げ、その資金でグランドピアノ製作を始める。
1957年60歳 初めてピアノ製造の特許を取得。
1860年代にはマンハッタンのパーク・アベニュー(現シーグラム・ビルディングが立つ場所)に新しい工場を構え、年間生産台数が500台から1800台規模に増加。
1862年64歳 ロンドン博覧会、1867年パリ万国博覧会で金賞を受賞。
1865年67歳 最初の7つの特許を取得したヘンリーJr.と、すぐ上の息子チャールズが早世。長男のC・F・テオドール・シュタインヴェークをニューヨークへ呼び寄せ、長男はドイツの会社の株式を共同経営者のグロトリアンに売却し、ニューヨークへ移住。
ピアノの製作を受け継いたテオドールは、現在までスタインウェイ・ピアノを支える127の特許のほぼ半分を取得し、世界最高のスタインウェイ・ピアノを完成させる。

スタインウェイピアノは、産業革命により豊かになったアメリカにおいて、数千人を収用できる音響的に貧弱な多目的ホールでの使用を念頭におき、音響工学を設計に初めて取り入れ、厚く強固な胴でしっかりと響板からの圧を支える構造を持ち、脚は胴からの反射音を計算し、交差弦やデュープレックス・スケールなど、革新の数々は、世界的のピアノ製造者への手本となった。
戦後、高級ピアノ市場をスタインウェイが独占できたのは、ドイツの名門メーカーが第二次大戦の戦災により壊滅的なダメージを受け、主要な工房や多くの技術者を失ったせいでもある。
1972年のCBSによる買収、その後の複数の個人投資家への売却を経て、1995年にセルマー・インダストリーズの傘下に入った。その後、セルマーおよびその傘下の旧ユナイテッド・ミュージカル・インスツルメンツ、ルブラングループらと共に楽器製造企業複合体スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ(旧セルマー・インダストリーズ)を形成したが、2013年8月、スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ(SMI)は米著名投資家ジョン・ポールソンのファンドへの身売りを発表した。

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