2月9日1885年【A.ベルク】

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アルバン・マリーア・ヨハネス・ベルク
Alban Maria Johannes Berg

[作曲家/オーストリア]
1885年2月9日 – 1935年12月24日 50歳没
シェーンベルク(1874-1951)、ヴェーベルン(1883-1945)とともに、12音技法を確立した新ウィーン楽派の一人。
3人の中では最も伝統的で後期ロマン派的感性をもつ作品を残しました。


アルバン・ベルク全集

オペラ『ヴォツェックOp.7』

生涯

1885年 ウィーンで裕福な商家に生まれる。
幼い時から音楽や文学に興味を抱き早熟な少年時代を送る。
1900年15歳 父が亡くなる。この頃から独学で作曲始める。
1902年17歳 ベルク家の別荘で働いていた女中、マリー・ショイヒルとの間に子供が生まれる。
1903年18歳 ギムナジウムの卒業試験に失敗し自殺を図る。
1904年19歳 兄が彼の作品をシェーンベルク(1874-1951)に持ち込み、シェーンベルクや同門のウェーベルン( 1883-1945)との交友が始まる。
ギムナジウム卒業後、公務員となるが作曲活動に打ち込むため2年で辞職し、ウィーン国立音楽院へ入学する。
1907年22歳 『4つの歌曲Op.2』などの曲で本格的な作曲家デビュー。

『7つの初期の歌曲』(1908)
メゾソプラノ:E.ガランチャ(1976-)
指揮:S.ラトル(1955-)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2018年3月演奏)

1908年7月23歳 喘息を発病。亡くなるまで続く持病となる。自分の年齢「23」を自己の運命の数と決め、この数は以後の作品に影響を与える。
1911年26歳 オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と愛人アンナの庶子と言わる歌手ヘレーネ・ナホフスキーと結婚。
同年、唯一のピアノ曲である『ピアノソナタOp.1』(1908)が初演、出版される。初演時には革新的な書法であったことから聴衆が暴動を起こしたといわれる。

『ピアノソナタ』
ピアノ:G.グ-ルド(1932-1982)

1912年27歳『アルテンベルク歌曲集Op.4』作曲。シェーンベルクに評価されず、初演されたのはベルクが亡くなって5年後の1917年。
1914年29歳 第一次世界大戦(1914-18)勃発。翌年から兵役に服する。
1917年32歳 休暇を与えられ、1914年に着手し中断していたオペラ『ヴォツェックOp.7』の作曲を再開し1922年に完成。

1925年40歳 オペラ『ヴォツェックOp.7』ベルリン国立歌劇場でエーリヒ・クライバー(1890-1956)の指揮により初演。成功をおさめる。
同年、プラハ訪問中に知り合ったハンナ・フックス=ロベッティンと不倫関係になる。

『管弦楽の為の3つの小品 Op.6』(1915年/1929年改訂)
指揮:S.ラトル(1955-)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

1933年48歳 ナチス・ドイツ政権発足により、師であるシェーンベルクがユダヤ人だったため、ベルクもユダヤ人と疑われドイツでの演奏が不可能となった。

1935年8月50歳 『ヴァイオリン協奏曲』作曲。“ある天使の思い出にDem Andenken eines Engels”と献辞が添えられた自由な書法で書かれ、最後の作品となった。

『ヴァイオリン協奏曲』
ヴァイオリン:L.カヴァコス(1967‐)
指揮:A.フィッシャー(1949-)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

同年50歳 虫刺されが原因で腫瘍ができ、これが悪化して敗血症を併発し同年の12月24日に亡くなる。

1928年より着手していた、 フランク・ヴェーデキントの戯曲「地霊」と「パンドラの箱」によるオペラ『ルル Lulu』は、完成していた2幕までと「ルル組曲」の抜粋という形で初演された。未亡人ヘレーネは補筆を禁じ、3幕の形での『ルル』(フリードリヒ・ツェルハ補筆版)はヘレーネ没後の1979年にパリのオペラ座にてピエール・ブーレーズ指揮により初演された。

『ルル組曲』
ソプラノ:A.プロハスカ(1983-)
指揮:C.アバド(1933-2014)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


アルバン・ベルク: 地獄のアリア

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