1月8日1830年【H.v.ビューロー】

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ハンス・ギードー・フォン・ビューロー
Hans Guido Freiherr von Bülow

[ 指揮者・ピアニスト / ドイツ ]
1830年1月8日-1894年2月12日 64歳没
R.ワーグナー(1813-1883)に指揮法、F.リスト(1811-1886)からピアノを学び、近代的指揮法の典型を確立しました。この時代には作曲家が指揮をしており、彼は専業の指揮者としての先駆者でした。
クラシック音楽において、J.S.バッハ、ベートーヴェン、ブラームスを総称して「ドイツ3B」と呼び、「バッハの平均律クラヴィーア曲集はピアノ音楽の『旧約聖書』、ベートーヴェンの32曲のピアノソナタは『新約聖書』」と言わますが、そのように呼び始めたのは彼です。
リストの娘コジマと結婚し、その後離婚。コジマはその後、ワーグナーと結婚しました。

ハンス・フォン・ビューロー

 

生涯

1830年 メクレンブルクの貴族の家系に生まれる。
9歳からフリードリヒ・ヴィーク(クララ・シューマンの父)にピアノを学ぶ。
1848年 両親の強い意向で、ライプツィヒ大学に入学し法律を学びながら、音楽の勉強も続けた。
1849年19歳  F.リスト(1811-1886)に出会い、ピアノ演奏を称賛される。同年、大学を退学。
1850年20歳 R.ワーグナー(1813-1883)の推薦でチューリッヒで指揮者となるが解雇される。
1851-53年 リストに師事。その後ザンクト・ガーレン劇場の指揮者となる。
1855-64年 ピアニスト・指揮者として活躍し、ドイツ国内やロシアで名声を得る。
1857年27歳 リストとマリー・ダグー伯爵夫人の娘コジマ( 1837-1930)と結婚。
1864-77年 ミュンヘン宮廷歌劇場指揮者。
1865年6月10日35歳 ミュンヘンのバイエルン宮廷歌劇場においてワーグナー『トリスタントイゾルテ』初演を指揮。
1868年6月21日38歳 ミュンヘン・バイエルン宮廷歌劇場にワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』初演を指揮。
1867-69年 バイエルン宮廷歌劇場総監督となりワーグナー、ブラ-ムス(1833-1897)、チャイコフスキ-(1840-1893)の作品を支援。ショパン(1810-1849)の作品の熱心な信奉者でもあった。
1869年39歳 妻コジマが師であるワーグナ-と不倫し3人の子を出産したことから離婚。それまでのワーグナー派を離れ、ブラームスの作品を積極的に取り上げるようになる。
1875-76年 渡米。チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』世界初演演奏など139回の演奏会に出演。
1878-80年 ハノ-バー宮廷歌劇場楽長、1880年-85年 マイニンゲン宮廷管弦楽団初代音楽監督を経て、1887年より1892年までベルリンフィル常任指揮者を務める。

ピアノの名手としても活躍し、リストの『ピアノソナタロ短調』『ハンガリー幻想曲』、チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』などを初演したほか、ブラームスのピアノ協奏曲をブラームス指揮によりソリストを務めている。
1882年52歳 女優マリア・シャンツェルと再婚。
1894年64歳 演奏旅行先エジプトのカイロで亡くなる。

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