9月21日1874年【G.ホルスト】

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グスターヴ・ホルスト
Gustav Holst / Gustavus Theodore von Holst

[ 作曲家 / イギリス ]
1874年9月21日-1934年5月25日 59歳没
管弦楽のための組曲『惑星』の作曲で知られる作曲家

ホルスト (1874-1934)

 

生涯

1874年 英国グロースターシャー州のチェルトナムにスウェーデン・バルト系移民の子として生まれる。曾祖父はサンクトペテルブルクのロシア宮廷に仕えた作曲家兼ハープ教師、イギリスに移住した祖父はハープ教師。父は教会オルガニスト、ピアノ教師、母はピアニストという家系で、音楽的な家庭環境の中、幼いころからヴァイオリンとピアノを学ぶ。
1882年8歳 母を亡くし父方の姉に育てられる。
1891年17歳 チェルトナム・グラマー・スクールを卒業。ピアニストを目指したが、病弱で神経障害もあったため断念し、作曲をめざす。
1892年18歳 ロンドンの王立音楽学校の奨学金受験に失敗し、経済的理由からウィック・リッシントンで合唱団長およびオルガニストとなる。
1893年19歳 オペレッタ『ランズダウン城』が成功をおさめ、再び王立音楽大学の奨学金を申請するが認められず、父が借金をして王立音楽大学作曲専攻に入学。
1894年20歳 腕の神経炎のためピアノの代わりにトロンボーンを学ぶ。在学中は作曲を続けながらも、作曲家としては生活できないと考え、ロンドン各地の教会でオルガン奏者や劇場オーケストラのトロンボーン奏者として収入を得る。

1896年22歳 ウィリアム・モリスが設立した「芸術と日常生活の統合」をうたうハマースミス社会主義者協会に参加し、協会の聖歌隊の指揮者に就任。『オーボエと弦楽四重奏のための幻想曲』、オペラ『魔法の鏡』、子供のためのオペレッタ『理想』作曲。
1898年24歳 王立音楽大学を卒業。スコットランド管弦楽団のトロンボーン奏者となる。『弦楽合奏のための組曲ト短調』作曲。
1901年6月26歳 ハマースミス聖歌隊メンバーのイザベル・ハリスンと結婚。
このころからヒンズー教義やインド文学に傾倒し、サンスクリットを学び、交響詩『インドラ』、オペラ『シーター』(1906)『サーヴィトリー』など、インド文学に基づく作品を多く発表する。
1903年29歳 スコットランド管弦楽団トロンボーン奏者を辞め、ダリッジ・ガールズ・スクールで教鞭をとりながら『インドラOP.13』『木管楽器のための五重奏曲OP.14』作曲するなど作曲活動に重心を置くようになる。
1907年33歳 モーリー・カレッジの音楽部長に就任。
1913年39歳 セント・ポール・ガールズ・スクールにホルスト専用の音楽スタジオ開設。
1914年40歳 神経炎と極度の近視のため兵役免除。
1916年42歳 1914年からとりかかっていた組曲『惑星 OP.32』が完成。1920年に初演され、同年初演された『イエス讃歌』も大成功し名声が高まる。

『惑星』は、1961年にカラヤン(1908-1989)がウィーンフィルとともにコンサートで演奏、その後録音したレコードが大ヒットし、再評価されるようになった。

指揮:カラヤン(1908-1989)
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1961年録音盤)

ホルスト:惑星

作風は、初期の作品は当時の多くの作曲家同様にワーグナーの影響が見え、のちにイギリス民謡に興味を持ち、マドリガルや、バード・パーセルなどの古いイギリスの音楽や東洋趣味の題材をとるなど独創性も兼ね備えた後期ロマン派の流れに属するものである。

1920-23年 王立音楽大学、リーディング大学で教鞭をとる。
1923年49歳 リーディング大学で指揮壇から転落して頭部を強打。その怪我がもとで過労もあり神経障害が悪化し、1925年にはセントポール女学校の以外の仕事を断る
1930年56歳 王立交響楽協会金メダル受賞。
1932年58歳 ハーバード大学から6カ月間作曲客員講師を依頼され渡米するも、十二指腸潰瘍が発見されイギリスに戻る。
1934年5月25日59歳 ロンドンで潰瘍の手術をした後、心不全で亡くなる。
サセックスのチチェスター大聖堂に眠る。

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『惑星』

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