1月5日1920年【A.B.ミケランジェリ】

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アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ
Arturo Benedetti Michelangeli

[ピアニスト/イタリア]
1920年1月5日–1995年6月12日 75歳没
20世紀を代表するピアニストのひとり。
完璧主義者ゆえにコンサートのキャンセルが多かった。

生涯

1920年イタリア、オルツィヌオーヴィ生まれ。
3歳から音楽を学び始め、10歳でミラノ音楽院に入学し、ヴァイオリンも習得。卒業後ソロ活動に並行して、父親の意向で医学も学んだ。
1939年19歳 第1回ジュネーヴ国際コンクールで1位を獲得。審査員長のコルトー(1877-1962)から「リストの再来」と賞賛され注目をあびた。マルティーニ音楽院の教授に就任。
第二次世界大戦中はファシズムに対するレジスタンス運動の闘士として活動し、腕を負傷。
1946年26歳 ロンドンデビュー。
1950年代、重病を患い復帰が危ぶまれたが、1955年 ショパンコンクールの審査員及び公式ピアニストに選ばれたことを機に復活。
以後、世界中でコンサートを開き大成功をおさめ、カリスマ性をもつピアニストとなる。世界のどこであっても愛器スタインウェイと専属の調律師を伴った。
また、多くの弟子をとり、ポリーニ(1942‐)やアルゲリッチ(1941‐)にも指導した。

1962年42歳

1964年44歳 故郷のブレーシア国際ピアノ・コンクールを創始し、自ら芸術監督を務めた。
1965年45歳 初来日。予定通りの演奏会を行ったが、以降の来日ではキャンセルが続き、招聘元の松岡企画がミケランジェリが持ち込んだ2台のスタインウェイを差し押さえるなど、日本との関係が悪化した。

1978年58歳 ドビュッシーの作品を録音。特に高く評価されている。

ドビュッシー:前奏曲集第1巻

1988年68歳 演奏会の途中で心臓発作で倒れる。翌年復帰。
1992年72歳 最後の来日公演。チェリビダッケと2度の共演、2度のリサイタルが行われた。リサイタルは3回予定されていたが、1回はキャンセルとなった。
1993年にも来日計画があったが、体調不良で実現せず、1993年5月7日73歳でハンブルクにおいて行われたリサイタルが最後の公の演奏会となった。
1995年6月12日75歳 スイスのルガーノにて亡くなる。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番Op.73

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