12月6日1929年【N.アーノンクール】

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ニコラウス・アーノンクール
Nikolaus Harnoncourt
Johannes Nicolaus Graf de la Fontaine und d’Harnoncourt-Unverzagt

[指揮者・チェリスト/オーストリア]
1929年12月6日 – 2016年3月5日 86歳没
「現代最高のモーツァルト指揮者」「古典音楽解釈の規範」といわれた指揮者。
チェロ奏者、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者としても活躍しました。


アーノンクール&ウィーンフィル「ニューイヤー・コンサート2003」 [DVD]

モーツアルト:交響曲第41番「ジュピター」
指揮:アーノンクール
ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団

生涯

1929年 ベルリンでオーストリア・ハンガリー帝国のラ・フォンテーヌ及びド・アーノンクール=ウンフェルツァークト伯爵家の父と、神聖ローマ皇帝レオポルト2世の第13子ヨハン・バプティスト・フォン・エスターライヒの孫に当たるメラン伯爵令嬢ラディスラヤ殿下である母のもと、オーストリアでも名立たる名家の長男として生まれる。
グラーツで少年時代を過ごした。
ウィーン国立音楽院(現・ウィーン国立音楽大学)でチェロを学ぶ。
1952年23歳 音楽院を卒業。カラヤン(1908-1989)が常任指揮者時代のウィーン交響楽団のオーディションを受け、第11番目のチェロ奏者として合格し入団。
1953年24歳 ウィーン交響楽団に在籍する一方で古楽演奏の研究、オリジナル楽器の収集にも力を注ぎ、妻でヴァイオリニストのアリスとともに古楽器オーケストラ「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(CMW)」を結成。
1957年28歳 CMW、4年間の研究を経て初のコンサートを開催。
1969年30歳 ウィーン交響楽団を退団。「モーツァルト『交響曲第40番』は死を意味する調性のト短調で書かれているにもかかわらず、多くの指揮者がただ流麗に振り、聴衆は心地よく体を揺らす。その間でチェロを奏でる自分に耐えられなくなり、年金生活を棒に振り、独立という“いばらの道”を選んだ」と自身が語っている。

1960年代からCMWとの外国公演や録音が始まり、バッハやヘンデルの作品に意欲的に取り組み、高い評価を得る。
その集大成として、グスタフ・レオンハルト(1928-2012)と共同でバッハの『カンタータ全集』を録音。
1982年53歳 バッハ『カンタータ全集』の業績によりレオンハルトとともにエラスムス賞を受賞。

バッハ :カンタータ BWV147


バッハ:カンタータ全集

1969年40歳 指揮活動に専念。
1972年43歳 ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院の教授を務める(-1993)。
1970年代からはチューリッヒ歌劇場をホームグラウンドとしてオペラにも取り組み、モンテヴェルディモーツァルトの一連のシリーズや、ブルックナーやシュトラウス2世の作品も積極的に演奏し、古典派以降作品の指揮でも高い評価を得る。また、復活祭に演奏されるバッハの受難曲の演奏をきっかけにアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)を指揮するようになり、一連のモーツァルトやハイドンの演奏で大きな注目を浴びる。
1980年11月50歳 ウィーン・フィルと共に初来日。
19器のオーケストラへ本格的に進出します。また、1985年には生地グラーツでシュティリアルテ音楽祭を創設し、偉大な作曲家たちの作品の新たな演奏を披露。探究心旺盛な多くのファンがその成果を聴くために毎年夏、グラーツを訪れるようになりました。
1980年代には古楽オーケストラにとどまらずモダン・オーケストラも指揮するようになる。

「世界全体が精神より物質の価値を重んじ、教育の現場でも実務が芸術を圧倒、皆が小さな幸せに安住する。音楽というより、芸術全般が危機に瀕している」という危機感を抱いて音楽活動を行った。
晩年のカラヤン(1908-1989)が、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演を禁ずる指揮者の一人としてアーノンクールの名前を挙げたことが知られている。

18世紀当時の音楽については音楽史や演奏史の変遷を踏まえ、古い時代の音楽や古楽器の収集と研究に取り組んだ。それにより作品が作曲された当時の演奏のあり方を尊重した原典に忠実な解釈や”ピリオド楽器”使用により、当時の音楽の再現を行った。その取り組みは『古楽とは何か――言語としての音楽 Musik als Klangrede : Wege zu einem neuen Musikverständnis』(1982年)、『音楽は対話である The Musical Dialogue: Thoughts on Monteverdi, Bach, and Mozart』(1992年)などの自著に記している。


古楽とは何か―言語としての音楽


音楽は対話である 1992年

1990年代はベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団やヨーロッパ室内管弦楽団で数多く客演するようになり、レパートリーも古楽系のものから広がりをみせ、ベートーヴェンシューベルト、シューマン、ブルックナー、ブラームス、ドヴォルザークヨハン・シュトラウス2世ヴェルディワーグナーベルクバルトークの作品など指揮する。

ヴェルディアイーダ
指揮:アーノンクール
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(2001年)

2001年1月71歳 ベルリン・フィルのニューイヤーコンサートを指揮。
2003年1月73歳 ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを指揮。
同年3月 ニューヨークでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を指揮した際には、現地の演奏会評で解釈に対する批判的な意見が出された。

2005年6月75歳 時差嫌いのため、長く来日が途絶えていたが、古楽演奏の成果および近代・現代作品の斬新な演奏を称えて第21回京都賞(思想・芸術部門)受賞し、久々の来日を果たした。
2006年77歳 モーツァルト生誕250年を記念するこの年、ザルツブルク・モーツァルト財団の「アーティスト・イン・レジデンス」に任命される。
同年 「アジア人は機械的演奏に陥りがち」と発言し「頑固者」「辛辣」と評価されることもあったが、ウィーン・フィルおよびCMWとの公演のために再来日。モーツァルトなどの作品を指揮した。
2007年78歳 ライプツィヒ・バッハ・メダルを受賞。
2010年10月80歳 11月にかけて最後の来日公演を行う。

ベートーヴェン:交響曲第5番
指揮:アーノンクール
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2011年10月29日演奏)

2015年12月5日、86歳の誕生日の前日に、体力の限界を理由に引退を表明。
2016年3月5日86歳 ザンクト・ゲオルゲン・イム・アッターガウにて亡くなる。


ヘンデル:メサイア:コンツェントゥス・ムジクス/A.シェーンベルク合唱団2004年ライブ録音


ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 & ニコラウス・アーノンクール ~ シューベルト・エディション [交響曲全曲 | ミサ曲 | オペラ] 

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