10月18日1879年【G.フィテルベルク】

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グジェゴシュ・フィテルベルク
Grzegorz Fitelberg

[ 指揮者・作曲家 / ポーランド ]
1879年10月18日-1953年6月10日 73歳没
あまり馴染みが無いかもしれませんが、名指揮者としてシマノフスキの管弦楽曲の大半を初演したほか、ポーランド国立放送カトヴィツェ交響楽団の結成に尽力し、初代首席指揮者を務め、またK.シマノフスキ(1882-1937)らと共に『若きポーランド』を結成し、ポーランドの近代音楽に多大な貢献をしました。
1980年から彼の名を冠したフィテルベルク国際指揮者コンクールがポーランド南部の都市、カトヴィツェで5年に1度行われ(2012年までは4年に一度)若手指揮者の登竜門となっています。

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生涯

1879年 現在のラトビアのダウガフピルスにユダヤ系ポーランド人軍楽員である父のもとに生まれる。
1891~1896年 ワルシャワでヴァイオリンと作曲を学ぶ。
1896年17歳 ワルシャワ大劇場オーケストラのヴァイオリン奏者、1901年、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団第2ヴァイオリンのコンサートマスターとなる。
1898年19歳 ライプツィヒで行われたイグナツィオ・パデレフスキー記念コンクール作曲部門で第1位。
1905年26歳 K.シマノフスキ(1882-1937)らと共に『若きポーランド』を結成し、ポーランド現代音楽の振興に尽力した。

1922年43歳 パリにてストラヴィンスキーのオペラ『マヴラ』初演の指揮を務める。
1935年56歳 ポーランド国立放送カトヴィツェ交響楽団を設立し、初代首席指揮者となる。シマノフスキの作品を積極的に演奏し、彼の作品が全ヨーロッパに知られるきっかけとなった。
1942年63歳 アメリカ合衆国へ移住し、1946年にポーランドへ帰国。
1947年68歳 ポーランド国立放送カトヴィツェ交響楽団に復帰し、亡くなるまで同楽団を率い、1953年カトヴィツェで亡くなった。

1980年より、ポーランド南部の都市、カトヴィツェで4年に一度(2012年度からは5年に一度)彼の名を冠したフィテルベルク国際指揮者コンクールが開催され、2017年には第10回が開催され若手指揮者の登竜門となっている。

シマノフスキ:交響曲第2番 Op.19
指揮:フィテルベルク
ポーランド国立放送交響楽団

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