9月14日1887年【P.コハンスキ】

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パウル・コハンスキ
Paweł Kochański

[ヴァイオリニスト・作曲家/ポーランド]
1887年9月14日 – 1934年1月12日 46歳没

ポーランド出身のヴァイオリニスト・音楽教師・作曲家・編曲家。 弟は日本に亡命したピアニスト・音楽教師のレオニード・コハンスキ。

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生涯

1887年 ロシア帝国のオリョーリに生まれる。
父親にヴァイオリンのてほどきを受ける。
1898年11歳 ワルシャワに移る。
1901年14歳 ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団が創設されコンサートマスターに就任。
1903年16歳 ワルシャワの上流階級から援助を受け、王立ブリュッセル音楽院に留学。セザール・トムソンに師事し4年後には、最優秀賞と首席をとる。

旅するヴィルトゥオーゾとして活動し、この頃アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)と出会い、その後共演を重ねる。

1909年22歳 1911年までワルシャワ音楽院でヴァイオリンの教授に就任する(-1911)。
同年 ルービンシュタインと、シマノフスキ(1882-1937)『ヴァイオリンソナタ ニ短調』の初演を行なう。三人はこの出会いにより「若きポーランド」として知られる進歩主義的な音楽姿勢を示す芸術運動への参加につながる。

1911年24歳 ゾシア・コーンと結婚し、弁護士であったコーンの父親から、結婚祝いにストラディヴァリウスのヴァイオリンを贈られる。
1913年26歳 1914年までロンドンを訪れ、I.ストラヴィンスキー(1882-1971)と出逢い、
ストラヴィンスキーから『火の鳥』からの3曲の編曲を献呈される。
1916年29歳 シマノフスキから『ヴァイオリン協奏曲第1番』を献呈され、この作品のためにカデンツァを創っている。
同年 アウアーの後任教授として1918年までペテルブルク音楽院に赴任。
1919年32歳 キエフ音楽院教授に就任(-1920)。

1921年1月33歳 シマノフスキとロンドのウィグモア・ホールで共同リサイタルを開き、数週間後にニューヨークに向けて出発し、活動拠点をニューヨークに移す。
1924年37歳 没年までジュリアード音楽学校で教鞭をとり、没年まで務める。

ブラームス:ヴァイオリンソナタ 第3番 第2楽章
ヴァイオリン:コハンスキ(1887-1934)
ピアノ:アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)

1933年46歳 すでに癌に蝕まれていたが、シマノフスキ『ヴァイオリン協奏曲 第2番』初演を行なう。
1934年1月12日46歳 ニューヨークで亡くなる 。

ジュリアード音楽学校で無宗教による学校葬が行われ、F.クライスラー(1875-1962)、Y.ハイフェッツ(1901-1987)、クーセヴィツキー(1874-1951)、A.トスカニーニ(1867-1957)、V.ホロヴィッツ(1903–1989)など、そうそうたる音楽家をはじめ、1,500人が列席した。

コンサート後のプライベート映像(1928年11月)

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