8月18日1750年【A.サリエリ】

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アントニオ・サリエリ
Antonio Salieri

Antonio Salieri painted by Joseph Willibrord Mähler.jpg

[ 作曲家・教育家 / イタリア ]
1750年8月18日-1825年5月7日 74歳没
世界中で大ヒットした映画「アマデウス」(1984)でモーツアルト(1756-1791)に嫉妬する主人公の音楽家として、現代でもすっかり名前が知れ渡りました。
映画では感じの悪い描き方がされていますが、実際は当時ヨーロッパ楽壇の頂点に立ち、オペラ作曲家として人気があり、人格者でもあったのです。
教育家として、ベートーヴェン(1770-1827)、シューベルト(1797-1828)、リスト(1811-1886)、ツェルニー(1791-1857)、フンメル(1778-1837)、モシェレス(1794-1870)らを育てました。

 

生涯

1750年 イタリアのヴェローナ郊外に生まれる。
幼少からチェンバロ、声楽、ヴァイオリンの音楽教育を受けた。
両親を失い、音楽の勉強をするためにヴェネツィアに移住。
1766年16歳 ウィーン楽壇の大物フローリアン・レオポルド・ガスマンに見いだされ、ウィーンへ移住し対位法、演奏技法を学ぶ。

『ピアノ協奏曲 ハ長調』(1773)

1774年24歳 ヨーゼフ2世の宮廷作曲家兼イタリアオペラの作曲家になる。オペラ作品は人気を博し名声が高まる。
1778年 2年前に焼失したミラノ・スカラ座2代目劇場杮落し公演にサリエリが作作曲した『見出されたエウローパ』が上演される。イタリアオペラだけでなく、室内楽や宗教音楽において高い名声を得た。
1787年37歳 最高傑作といわれるオペラ『タラール』を作曲。

『タラール』より

1788年38歳 モーツアルト(1756-1791)をさしおいてウィーンの音楽家最高の地位である宮廷楽長に任命され、亡くなる直前の1824年までその地位にあった。
1793年1月2日42歳 モーツアルトの葬儀に参列し、遺作『レクイエム』初演の指揮を行う。映画「アマデウス」の印象とは違い、彼の才能を高く評価していた。

1817年67歳 ウィーン楽友協会音楽院の指導者に就任し、ニューイヤーコンサートで有名なウィーン楽友協会の黄金ホールの設計、特に空間性、音響効果の設計にも携わった。(現在の建物は1870年竣工)

18世紀末まではオペラの作曲家として活躍し、40曲に及ぶオペラ、ミサ、オラトリオ、わずかの器楽曲を残したが、音楽の指導に専念するようになり、ベートーヴェンをはじめ、多くの音楽家を育てた。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの幾つかは、サリエリに捧げられている。

才能のある弟子への生活に経済支援や、音楽家やその遺族の為に互助会を組織したり慈善コンサートを行うなど、慈善活動に熱心だった。

1823年73歳 老衰のためにウィーン総合病院に入院。その頃サリエリが、1791に亡くなったモーツァルトを毒殺したという噂がまことしやかに流れていたが、見舞いに訪れた弟子のモシェレス(1794-1870)に涙ながらに自分の無実を訴えたと言われる。
1825年5月7日 74歳で死去。ウイーン中央墓地に眠る。

ローマ生まれのソプラノ歌手チェチーリア・バルトリによるサリエリ作品アルバム

サリエリ・アルバム

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