クラシック音楽情報
【音楽家の誕生日 一覧】
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
Georg Friedrich Händel
[作曲家/ドイツ・イギリス]
1685年2月23日 – 1759年4月14日 74歳没
同年に生まれた「音楽の父」J.S.バッハに対し、「音楽の母」と称され、生前はバッハより国際的に活躍しました。イタリアでは彼らが生まれたこの年にD.スカルラッティが誕生しています。
ドイツに生まれ、人生の3分の2をイギリスで活躍し、イギリスに帰化しました。
オラトリオ『メサイア Messiah』”ハレルヤ Hallelujah”
生涯
1685年 ドイツのハレに宮廷付きの医師だった父のもとに生まれる。
1693年8歳 聖マリア教会のオルガニスト、ツァハウのもとで作曲とオルガン、チェンバロ、ヴァイオリンの演奏を学ぶ。
1697年12歳 父ゲオルグ死去。
1699年14歳 確認される中で最古の作品、トリオソナタを作曲。
1701年16歳 G.P.テレマン(1681-1767)に出会い、生涯にわたり交流が続いた。
1702年17歳 ハレ大学に入学。同年、ハレ大聖堂のオルガニストを1年間の契約でつとめる。
1703年18歳 ハンブルクにあるオペラ劇場のヴァイオリニストに就任。
同年、ブクステフーデ (1637年頃-1707)の後任オルガニストになるためにリューベックに赴いた際、ブクステフーデの娘との結婚が条件とされていると聞き逃げ出している。2年後にバッハも同じ経験をした。
1705年1月8日19歳 前年に作曲した最初のオペラ『アルミーラ Almira』初演が成功をおさめる。同年2月には次のオペラ『ネロ』が上演され、1708年にも2つのオペラが上演されたが、これらは現存しない。
オペラ『アルミ―ラ』 “Proverai di che fiere saette”
1706年21歳 イタリアのフィレンツェに赴き、1710年までイタリア各地を巡る。
1707年22歳 フィレンツェでオペラ『ロドリーゴ』初演。
ローマでは当時オペラの上演が禁止されていたため、最初のオラトリオ『時と悟りの勝利』を作曲。
1708年23歳 オラトリオ『復活』作曲、初演。
1709年24歳 オペラ『アグリッピーナ』フィレンツェで初演。外国人の作品としては異例の大成功を収め、その後連続27回上演された。ほかにカンタータなども発表した。
『アグリッピーナ』第2幕 “Pensieri, voi mi tormentate”
ソプラノ:J.ディドナート(1969-)
この時期、A.コレルリ(1653-1713)、A.スカルラッティ(1660-1725)D.スカルラッティ(1685-1757)親子に出会い、影響を受ける。
D.スカルラッティとは鍵盤楽器の競演を行っている。チェンバロはスカルラッティの方が優れているとする者もあったが、オルガン演奏についてはスカルラッティがヘンデルの演奏を聴いただけで負けを認めたという。
映画『ヘンデルの生涯 God Rot Tunbridge Wells! 』より
1710年6月25歳 ドイツに戻り、ハノーヴァーの宮廷楽長に就任。11月 ロンドンを訪れる。
1711年25歳 オペラ『リナルド』ロンドンにて初演。大成功を収める。
1712年以降、ドイツへの帰国命令に従わず、ロンドンに定住していた。
1714年29歳 アン王女の死去に伴い、ハノーヴァーのゲオルグ・ルートヴィヒ(1660-1727)がジョージ1世としてイギリス国王に即位。新国王と良好な関係をもった。
1717年32歳 ジョージ1世のテムズ河上での舟遊びの際に、管弦楽曲、組曲『水上の音楽』を演奏。
『水上の音楽 Water Music』
1719年34歳 オペラ運営会社「ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック」が設立され音楽監督となる。アカデミーのための音楽の大部分はヘンデルが作曲し『ラダミスト』(1720)、『ジューリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー)』(1724)、『タメルラーノ』(1724)、『ロデリンダ』(1725)などのオペラが上演された。
同年 アカデミーのために歌手と契約を結ぶためにドイツを訪れた。J.S.バッハがヘンデルに会おうとしたが、結局会うことはなかった。
1727年42歳 ジョージ2世が国王となり『載冠式アンセム』作曲。
同年2月 イギリス国籍取得。
1728年6月1日43歳 ロンドンにおけるイタリアオペラは衰退し、ロイヤルアカデミーは倒産する。
1732年47歳 最初の英語のオラトリオ『エステル Esther』上演。大成功を収める。
オラトリオ『エステル』”シンフォニア Sinfonia”
1734年49歳 健康を害しタンブリッチでの鉱泉で静養。
1742年57歳 ダブリンで慈善演奏会を開き、前年に作曲したオラトリオ『メサイア』を初演し、大成功を収める。
1749年64歳 オラトリオ『ソロモン』初演。
オペラをやめ、オラトリオ作家としての名声を確立していく。
同年 オーストリア継承戦争終結を祝う祝典のために『王宮の花火の音楽 Music for the Royal Fireworks』を作曲。
『王宮の花火の音楽』
1751年66歳 白内障の手術。左眼の視力を失う。
1752年67歳 『イェフタ』初演。
1753年68歳 完全に失明し、作曲活動ができなくなり演奏活動のみを行う。
1757年72歳 オラトリオ『時と心理の勝利』初演。
1758年夏73歳 タンブリッジ・ウェルズで眼科医のジョン・テイラーによる手術を受けたが成功しなかった(ジョン・テイラーはバッハにも同様の手術を施して失敗している)。
1759年4月14日74歳 体調悪化により亡くなる。その後ウエストミンスター寺院に埋葬された。
1760年 ヘンデルが亡くなった翌年、ジョン・マナリングによるヘンデルの伝記が出版された。当時、音楽家の伝記が出版されることは珍しいことだった。
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