2月21日1893年【A.セゴビア】

クラシック音楽情報
音楽家の誕生日 一覧

アンドレス・セゴビア
Andrés Segovia

[ギタリスト/スペイン]
1893年2月21日 – 1987年6月2日 94歳没
「ギターの神様」「音色の魔術師」クラシックギターにおける『現代奏法の父』と呼ばれ、それまで酒場に似合う伴奏楽器というギターの地位を、 コンサートホールで演奏される芸術性の高い独奏楽器へと引き上げた功労者といえます。「現代クラシック・ギター奏法の父」20世紀最高のギタリスト。
ギターのための名曲を数多く生み出し、楽器の改良にも取り組んだ「ギターの革命家」。


Milestone of a Guitar Maestro

生涯

1893年2月21日 スペイン南部の町リナーレス、大工職人を父のもとに生まれる。
1895年2歳 貧しい家庭で、母親が出稼ぎに行き、伯父夫婦の家に預けられる。
1897年4歳 ギターに触れる。
1902年9歳 父が亡くなり、翌年伯父夫婦と共にグラナダに移住。
1909年16歳 グラナダで初めての演奏会を開く。
1895年2歳 母親が出稼ぎに行き、伯父夫婦の家に預けられる。
1897年4歳 ギターに触れる。
1909年16歳 スペイン国内で初めての演奏会を開く。
1912年19歳 マドリッドで初リサイタル。
ギター製作者マヌエル・ラミレス(1866-1916)に出会う。伝統的マドリッド派のギター製作を学び、現代のクラシックギターの原型となるモダンギターを製作したアントニオ・デ・トーレス(1817-1892)のスタイルを導入し、マドリッドを代表するギター製作家のラミレスは、セゴビアの才能を見抜き、プロ用の高級ギターを無償で贈る。数年後には、プロの演奏家としてマドリッドで演奏会を行い、F.タレガ(1852-1909)による編曲集と、自身の編曲によるバッハの作品を演奏した。
1916年23歳 バルセロナで初リサイタル。
1920年27歳 初の南米ツアーを行い、ブエノスアイレス、モンテビデオにデビュー。
同年12月23日、アデライーダ・ポルティーリョ(1894-)と結婚。

1921年28歳 パリで、ピアニスト・作曲家のアレクサンドル・タンスマン(1897-1986)と知り合う。彼の作曲したギター曲の多くはセゴビアの為に作曲された。
1922年29歳 マドリッドで、M.ファリャ(1876-1946) 『ドビュッシーの墓に捧げる讃歌』初演。

ファリャ:ドビュッシーの墓に捧げる讃歌 Homenaje, pour le tombeau

1923年30歳 メキシコを初訪問。セゴビアと知り合い演奏を聴いたマヌエル・ポンセ(1882-1948)はこの年、ギターの為の『ソナタ・メヒカーナ』を作曲し、セゴビアに献呈。

ポンセ:ソナタ・メヒカーナ Sonata Mexicana

1924年31歳 世界の音楽家達が憧れる、パリ音楽院ホールで大成功を収める。以後、スペイン各地の演奏会で好評を博す。同年、ブラジルの作曲家エイトール・ヴィラ=ロボス(1887-1959)と知り合う。
ドイツの弦楽器製作者ヘルマン・ハウザー1世(1882-1952)を訪問。
1925年、タンスマンが『マズルカ』(mazurka)を作曲。セゴビアに献呈。
1926年33歳 ソビエト連邦で初ツアーを行う。
1928年35歳 ハウザー1世から提供されたギター(1933年までツアーで使用)で行ったアメリカ演奏旅行が大成功をおさめ国際的名声を得る。
ヴィラ=ロボスが、ギターの為の『12の練習曲』をセゴビアに献呈。

ヴィラ=ロボス:『練習曲 第1番』

1935年42歳 バッハのシャコンヌをギター用に編曲してパリで初演。
グラナドスの弟子で1919年に知り合った女流ピアニスト、パキータ・間取りゲーラと結婚。
1936年43歳 アメリカ、イタリア、ソビエト連邦へツアー。
同年7月18日、スペイン市民戦争勃発。
1939年4月1日、スペイン市民戦争終結。

クラシック音楽のコンサート楽器として、またアメリカの大きな会場での演奏を前提に、楽器製作者と共に音量を増す楽器を作り上げた。またクラシックギターのレパートリーを増やすために、バロックから古典派、ロマン派に至るまで、数々の名曲を、ギター用に編曲し、著名な作曲家たちに、ギターが中心となる管弦楽曲を作るよう声をかけた。
大きな手により紡がれる色彩豊かな音色はセゴビアトーンと言われ、「かき鳴らし」から脱却し、クラシック音楽としての分野を確立した。

バッハ:シャコンヌ

また、後進の指導も熱心に取り組み、アリリオ・ディアス、松田晃演、クリストファー・パークニングなどを輩出した。

日本には4回来日し、皇太子(現天皇陛下)もお聴きになっている。

1953年7月60歳 友人の車のガラスに頭を打ち網膜はく離を起こし失明の危機という絶望の中で『光のないエチュード』を作曲。

『光のないエチュード Estudio sin Luz 』
ギター:C.ミラー二(2015年演奏)

1987年6月2日94歳 マドリッドにて心臓発作により他界亡くなる。

亡くなる2か月前までステージに立ち続け、5000回以上のコンサートを行った。


セゴビアのポートレイト[DVD]


セゴビアの芸術

クラシック音楽情報LuckOn

関連記事

  1. 12月3日1883年【A.ウェーベルン】

  2. 8月24日1879年【瀧 廉太郎】

  3. 7月21日1920年【I.スターン】

にほんブログ村 クラシックブログへ

error: Content is protected !!