11月23日1876年【M.ファリャ】

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マヌエル・デ・ファリャ
Manuel de Falla

[作曲家/スペイン~アルゼンチン]
1876年11月23日-1946年11月14日 69歳没
20世紀前半スペイン近代の民族主義楽派を代表する作曲家。
晩年、フランコ政権を避けてアルゼンチンに亡命。

Manuel de Falla con bastón.jpg

生涯

1876年スペイン南部の港町カディスに生まれ、ピアニストである母にピアノを学ぶ。
1890年14歳マドリード音楽院で高名な音楽教師ホセ・トラゴ(1856~1934)にピアノを師事。1901年から近代スペイン音楽復興の立役者ペドレル(1841-1922)に作曲を師事し、スペイン民族音楽を学び、大きな影響を受けた。
1905年29歳 サルスエラ『はかない人生』がマドリード芸術院の歌劇賞に入賞、同年ピアノ・コンクールに優勝し、作曲家、ピアニストとして認められる。

1907年31歳 パリに滞在し(-1914)、デュカス(1865-1935)、アルベニス( 1860-1909)、ドビュッシー(1862-1918)ラヴェル(1875-1937)と交友関係を結び、彼らから印象主義の影響を受けた。
デュカスの力添えでパリのオペラ・コミックで上演された『はかない人生』が成功を収める。
第一次世界大戦勃発に伴い1914年9月にスペインへ帰国。
この時期、『スペインの庭の夜』(1915)、バレエ音楽『恋は魔術師』、バレエ音楽『三角帽子』(1917)など、民族主義と印象主義の両方がバランスよく融合したファリャの最も有名な作品が生まれた。

『三角帽子』

1921年 グラナダに移住。
1934年頃から体調を崩す。
1936年にスペイン内戦が始まり、親友が銃殺されたことを機に1939年63歳アルゼンチンに亡命。
1946年 亡命後祖国に戻ることなくコルドバで亡くなり同地に埋葬されたが、1947年にフランコによって遺体はスペインへ戻され、国葬の上でカディス大聖堂の地下礼拝堂に埋葬された。

『火祭りの踊り』(1915年作曲1921年ピアノ編曲)
ルービンシュタイン(1887-1982)

没後の1970年よりスペインで発行された100ペセタ紙幣に肖像が使用されていた。

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