11月5日1921年【G.シフラ】

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ジョルジュ・シフラ
Georges  Cziffra

[ピアニスト/ハンガリー]
1921年11月5日 – 1994年1月17日 72歳没
リストの再来」と呼ばれた超絶技巧で名高いピアニスト


Complete Studio Recordings 1956-1986

リスト『半音階的大ギャロップ』

生涯

1921年 ブダペスト郊外でロマの家系に生まれる。
1926年5歳 居酒屋やサーカスで民謡を主題とする即興演奏を行い有名になる。
1930年9歳 リスト音楽院に入学、エルネスト・フォン・ドホナーニに師事し、天才ピアニストと騒がれた。
1933年12歳 ハンガリー国内でコンサートを開くようになる。

1942年21歳 一目ぼれをしたブタペストに住むエジプト市民のズレイカと出会って数日後に結婚。
同年秋に軍から動員命令が届き、妊娠中の妻を残して従軍しロシア前線に送られる。この頃、父が殺される。
戦場で何度もけがをし、近くで砲弾が炸裂したため片耳の聴力を失い、この戦争の日々は大きなトラウマとなる。
1945年2月 赤軍により包囲されていたハンガリー首都ブダペストは陥落。同年4月、ハンガリーは実質上ソビエトの支配下に置かれた。
戦後も生活難のために祖国を脱出しようとして失敗し、思想犯として投獄される。ソ連軍支配下の祖国から脱出を試みるも失敗。
1946年25歳 自由の身となりブダペストに帰還。妻と4歳になった息子と再会する。
生活のために、ブダペストのバーやティーサロンでジャズやクラシック、自由な即興演奏を行った。
1948年27歳 ショパンの練習Op.10-4とクープランの作品を録音。
夜通しバーなどでピアノを弾いた後、早朝から毎日4時間、クラシックのレパートリーを練習していた。しかしソビエトの支配下にあったハンガリーでは、ロシア出身の演奏家を優遇していたため、彼にチャンスが訪れることはなく、国外への脱出を考えるようになる。
1950年1月28歳 一家で亡命を計画したが、何者かに密告され国家警察に逮捕される。拷問にかけられ、思想犯として収監。懲戒収容所では60kgの大理石を運ぶ仕事を毎日10時間こなした。この作業により手首の腱を伸ばしてしまい、息子は獄中で死にかけるほどの悲惨な体験をする。

1953年12月32歳 釈放され自由の身となる。
3年間一度もピアノを弾いていなかったが、3ヶ月間の準備期間を経て、公式な国家のピアニストとなり、チェコスロバキアとスイスへ演奏旅行へ出かける。また、ハチャトゥリアン『剣の舞』やリムスキー・コルサコフ『熊蜂の飛行』、バラキエフ『イスラメイ』、リストやシフラ本人による編曲ものなど超絶技巧を要する作品をブダペストで録音した。
1955年34歳 作曲家以外の音楽家としては初めて、ハンガリー最高の栄誉であるフランツ・リスト賞を受賞。

バラキレフ:イスラメイ

1956年10月22日 10月革命を記念するコンサートで中国人ピアニストがキャンセルしたため、6週間の準備期間でバルトーク『ピアノ協奏曲第2番』を代役として演奏。
このイベントに集まった約2000人の人々は、ソ連からの独立と民主化を求めて国歌を歌いながらホールを後にし、翌日には巨大な暴動となりハンガリー動乱の勃発となる。シフラは妻子を連れて徒歩で国境を越え、過酷な旅を経て西側へ亡命する。
ソビエト軍は正規軍戦車隊をブダペストに投入し鎮圧。その過程で数千人の市民が殺害され、25万人近くの人々が難民となり国外へ逃亡し、ハンガリー民主化は為されなかった。この弾圧の想い出のため、シフラは生涯二度とバルトークの『協奏曲第2番』を演奏することは無かった。また、その後の演奏の際には、必ず革の腕輪をはめ、囚人時代の屈辱を忘れないようにした。
その後、ロンドンとパリに赴く。

1956年11月35歳 ウィーンに住み、EMIの子会社であるレーベルと専属契約。11月17日にはリサイタルを行い、スカルラッティ、モーツァルト、ベートーヴェン、リストを演奏し大成功をおさめる。
同年12月2日 パリデビューも大成功をおさめ、その後世界ツアーを行いアメリカ、カナダ、ヨーロッパの国々を回り、録音も積極的に行う。

R.コルサコフ:熊蜂の飛行(1957年演奏)

1959年38歳 この頃、最も高額なギャラを取れる音楽家の一人となっており、一家でパリ郊外に居住し車3台、ピアノ6台を所有していた。家の購入費用はEMIによって支払われ、レコードの売り上げ数ヶ月分で回収されたという。

BBCにテレビ出演した際、カメラテスト用に即興演奏をしているシフラ(1962年)

1964年43歳 初来日。東京でリサイタルを行う。
1965年3月43歳 息子シフラJr(1942-1981)が22歳で指揮者としてデビューし、フランク『交響的変奏曲』を親子で共演する。

カバレフスキー:『コラ・ブルニョン』序曲
フランク:交響的変奏曲
ピアノ:G.シフラ
指揮:G.シフラJr(1965年演奏)

“リストの再来”と称されるように、レパートリーの中心は同郷の作曲家リストやショパンなどロマン派。その緩急の変化に富んだ演奏と素晴らしいテクニックで独特な演奏を披露し、録音も積極的に行った。

1966年45歳 シフラJrと共に Chaise-Dieu 音楽祭を設立。
1968年47歳 ド・ゴール将軍の命により、フランスに帰化。シフラ・ピアノコンクール設立。
1973年52歳 フランス最古のカトリック教会を購入し、若い演奏家の支援を主な目的とするシフラ財団の本拠とし、現在もシフラ財団の支援する若手演奏家のコンサート会場として使用されている。
1981年60歳 シフラJr 指揮でシューマン『ピアノ協奏曲』を録音。11月17日、シフラJrが自宅の火事により急死したため、息子と共演した最後の記録となる。この大きな悲しみにより演奏への意欲を失い、オーケストラとの共演による演奏や録音を二度と行おうとしなかった。シフラ自身によると”ウィスキー、ウォッカ、ワインの日々”であったという。

1986年65歳 ピアノをやり直そうと決心し、リストの没後100年を記念してのCDを録音。本人がその演奏に満足していなかった録音は、最期のレコーディングとなる。
1989年11月68歳 祖国ハンガリーが民主化されたこの年、最後のリサイタルを行う。
1993年71歳 体調をくずし肺癌が発覚。
1994年1月15日72歳 フランスのオワーズ県で肺癌の合併症による心臓発作で亡くなる。喫煙者であり酒豪でもあった。

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