10月1日1903年【V.ホロヴィッツ】

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ウラディミール・サモイロヴィチ・ホロヴィッツ
Vladimir Samoilovich Horowitz

[ ピアニスト / アメリカ ]
1903年10月1日–1989年11月5日 86歳没
「リストの再来」と称されるほどの技巧に加え、情緒あふれる叙情的表現を得意とし、カリスマ性を持つ20世紀を代表するピアニストです。
1983年80歳での初来日公演では、バブル期とはいえS席5万円のチケットが完売したことがワイドショーでも取り上げられました。体調不良だったその公演は、音楽評論家吉田秀和が公園直後のインタビューで「ひび割れた骨董」と発言したように、十分な演奏ではありませんでしたが、3年後に再来日して素晴らしい演奏を聴かせました。

 


ウラディミール・ホロヴィッツの芸術

ショパン:英雄ポロネーズ

生涯

1903年 ウクライナの小都市ベルディーチウで生まれる。
幼少からアマチュアピアニストの母のレッスンを受ける。
1912年9歳 キエフ音楽院に入学。
1919年16歳 ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第3番』を演奏して音楽院を卒業。
1920年17歳 初のピアノ・リサイタルを開催しソ連国内ツアーを行なう。
1926年23歳 初の国外コンサートをベルリンで開催、続いて、パリ、ロンドンで演奏を行う。
1928年25歳 チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』を演奏してアメリカデビュー。
1932年29歳 A.トスカニーニ(1867-1957)とベートーヴェン『ピアノ協奏曲第5番”皇帝”』で初共演。後に、トスカニーニの娘ワンダと結婚している。

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲
指揮:トスカニーニ
NBC交響楽団
1943年4月25日カーネギーホール(ライブ)

1940年37歳 アメリカへ移住し1944年には市民権を獲得。
1953年49歳 アメリカデビュー25周年記念リサイタル後間もなく突然すべてのリサイタルをキャンセルし表舞台から遠のく。

F.リスト:ハンガリー狂詩曲 第2番
1953年2月25日演奏

1965年61歳 12年ぶりののコンサートは「ヒストリック・リターン」として健在を示し、その後は録音や世界各地で演奏活動を行う。

1978年75歳 カーター(1924‐)第39代アメリカ合衆国大統領に招かれ、ホワイトハウスでリサイタルを行う。カーターは「ホロヴィッツは国の宝」と称賛をおくった。

80年代は健康問題に悩まされ、大量の薬を処方されるようになった。

1983年80歳「20世紀最高の伝説のピアニスト、ホロヴィッツ来日」との見出しで新聞で報道され初来日リサイタル(S席チケットは5万円)を行う。しかし、音楽評論家吉田秀和が「ひび割れた骨董」と評したように処方薬の影響からミスタッチが多く、多くの人を失望させた。
その後、技巧的な曲に固執することをやめ、最弱音から最強音までコントロールし、色彩豊かな音色で聴衆を魅了し続けた。
1986年83歳 およそ60年ぶりの祖国となるモスクワ、次いでベルリンでもコンサートを開き、絶賛された。初来日時の不調を気に病んでいたホロヴィッツはこの年、日本に再来日し吉田秀和も称賛する演奏を聴かせた。

1989年11月5日86歳 小品集のレコーディング「ザ・ラストレコーディング」を終えた4日後、自宅で食事中に急逝。
ミラノにある義父トスカニーニの霊廟に共に埋葬された。

生前最後の演奏となったハイドン、ショパン、リスト、ワーグナー作品を収録した1989年録音盤

ザ・ラスト・レコーディング

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