4月1日1866年【F.ブゾーニ】

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フェルッチョ・ブゾーニ
Ferruccio Busoni

[作曲家・ピアニスト・教育者/イタリア]
1866年4月1日-1924年7月27日 58歳没
7歳でピアニストデビューした神童で、超絶技巧の持ち主でした。
電子音楽や微分音による作曲など次世代の音楽に先駆ける一方で、J.S.バッハの作品の校訂やピアノ作品への編曲を多く行い、現在彼のアレンジで多く演奏されています。また、20代から世界各地で多くの優秀な弟子を育てました。

Busoni Performs Original Piano Works

F.リスト:鬼火


生涯

1866年4月1日 イタリア、トスカーナ州エンポリでクラリネット奏者の父とピアニストの母のもとに生まれる。
幼い頃より母からピアノを習う。
1874年8歳 最初の演奏会を開く。それを聴いたアントン・ルビンシテイン(1829-1894)は彼を高く評価した。この時期F.リスト(1811-1886)やブラームス(1833-1897)と知り合う。
1876年10歳 一家でオーストリア、グラーツに移住し、ヴィルヘルム・マイヤー(1831-1898)に作曲を学ぶ。
1879年11月13歳 グラーツで、合唱曲『スタバト・マーテル』を自らの指揮で初演を行う。
1880年14歳 ピアノ曲『24の前奏曲Op.37』(1881年出版)をはじめ多くのピアノ作品を作曲。
1886年20歳 ブラームスのすすめでライプツィヒに移り、作曲活動を積極的に行う一方、バッハのオルガン作品、クラヴィア作品や器楽曲のピアノ曲への編曲を始める。
現在よく演奏されるピアノに編曲されたバッハの無伴奏ヴァイオリン『パルティータ第2番ニ短調BWV10004』の「第4番シャコンヌ」も、この頃に手がけた。
またこの頃、P.チャイコフスキー(1840-1893)やG.マーラー(1860-1911)と知り合う。


バッハ, J. S./ブゾーニ: 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータより「シャコンヌ」

1890年24歳 ロシアのモスクワ、翌年1891年から1894年までアメリカ、ボストンなどでピアノレッスンを行う。アメリカではピアニストとしての演奏旅行も行い、ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしての名声が高まった。
同年 アントン・ルビンシテイン国際音楽コンクールにおいて作曲部門において、ピアノと管弦楽のための『コンツェルトシュテュックOp.31a』で優勝。またピアノ演奏部門においても第2位となる。

1894年28歳 ベルリンに移住し、ピアニストや指揮者として活動する。ヴィーン楽友協会音楽院(現ヴィーン国立音楽大学)(1908-09)やボローニャ音楽院長(1913-14)、ヴァイマール、バーゼルなどでマスタークラスで教え、C.アラウ(1903-1991)やエゴン・ペトリ(1881-1962)らを輩出した。

1914年48歳 第一次世界大戦により、スイスのチューリッヒへ移住。戦時中は交戦中の国々で演奏することを拒否した。
電子音楽や微分音による作曲など、未来的な音楽像を提唱し、この時期の弟子であるオットー・ルーニング(1900-1996)は、のちに電子音楽の先駆者となった。
1920年54歳 ベルリンに帰り、作曲のマスタークラスを主催するなど活動する。

ピアノ:ブゾーニ
1922年録音

1924年7月24日58歳 腎臓病のために亡くなり、ベルリンに埋葬された。

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