3月9日1910年【S.バーバー】

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サミュエル・バーバー
Samuel Barber

[作曲家/アメリカ]
1910年3月9日-1981年1月23日 70歳没
『弦楽のためのアダージョ』で知られる作曲家。


Adagio for Strings Piano & Violin Concertos Choral Pieces

『弦楽のためのアダージョ Adagio for Strings』


生涯

1910年3月9日 ペンシルベニア州ウェストチェスターで、外科医の父とアマチュアピアニストの母の間に生まれる。
19世紀のアメリカ東部で名声を博したオペラ歌手、ルイーズ・ホーマーの甥に当たる。その夫シドニーは19世紀のニューイングランドなどで人気の歌曲作曲家であった。
1916年6歳 ピアノを習い始め、翌年には作曲を始めた。声楽やチェロにも興味を持つ。
1924年14歳 フィラデルフィアのカーティス音楽院最優等クラスに入学。ピアノ・声楽を専攻し作曲、指揮も学ぶ。最優等を得て卒業。
1928年18歳 ヴァイオリン・ソナタに対してコロンビア大学よりバーンズ賞を与えられる。

バリトン歌手兼作曲家としてカーティス四重奏団と共に自作の演奏旅行をしたり、『ドーヴァー・ビーチ』などの自作の録音を残している。

『ドーヴァービーチ Op.3 Dover Beach』(1931)
バリトン:S.バーバー
Curtis String Quartet(1935年演奏)

1936年26歳 ピュリッツァー奨学金とローマ賞を得て、イタリアへ留学。
同地で『弦楽四重奏曲第1番ロ短調』を作曲。イタリアでトスカニーニ(1867-1957)に会い作品を見せ高い評価を得る。この第2楽章は後に弦楽合奏用に編曲され、『弦楽のためのアダージョ』として広く親しまれるようになる。

1940年30歳 1937年から手掛けた『4つの歌 Op.13』完成。第3曲「この輝ける夜に Sure on this Shining Night」は人気があり、後にオーケストラ伴奏版も作成された。

『この輝ける夜に Op.13-3』

1947年37歳 『チェロ協奏曲』がニューヨーク批評家協会賞を受賞。

『チェロ協奏曲 Op.22』(1945)
チェロ:ザラ・ネルソヴァ(1918-2002)
指揮:S.バーバー

1948年38歳 アメリカ作曲家連盟の創立25周年記念して『ピアノ・ソナタ 変ホ短調 Op.26』を作曲。1950年にV.ホロヴィッツ(1903–1989)によって初演された。
ピアニストとしての活動はなかったがピアノ演奏技術は高く、ラフマニノフの使っていたピアノを所有し1日の仕事を始める前に、バッハ『平均律クラヴィーア曲集』などを弾く習慣があった。

『ピアノソナタ Op.26』

1957年47歳 カーティス音楽院時代に知り合い40余年にわたり私生活のパートナーだったジャン・カルロ・メノッティ( 1911-2007)の台本による『ヴァネッサ Op.32』メトロポリタン歌劇場での初演が成功を収め、ピューリッツァー賞を受賞。

1962年52歳 『ピアノ協奏曲』で再びピュリッツァー賞受賞。
1966年56歳 フランコ・ゼフィレッリ(1923-2019)の台本によるオペラ『アントニウスとクレオパトラ Op.40』NYのメトロポリタンオペラハウスで初演されたが失敗。
その後5年間イタリアのアルプスで隠遁生活を送る。

『ピアノ協奏曲 Op.38』

1971年61歳 コンサート界に復帰。
1975年65歳 ジャン=カルロ・メノッティによって改訂された『アントニウスとクレオパトラ』ニューヨーク初演が成功をおさめる。

同世代のコープランド(1900-1990)やカーター(1908‐2012)などとは違い、和声法や楽式において伝統に従い、豊かで華麗な旋律が特徴的で、新ロマン主義音楽の作曲家とされ、ハワード・ハンソンと並び「最後のロマンティスト」と評される。

1981年1月23日70歳 リンパ腺癌によりニューヨーク市内の自宅にて亡くなる。


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