2月2日1875年【F.クライスラー】

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フリッツ・クライスラー
Fritz Kreisler

[ヴァイオリニスト]
1875年2月2日 – 1962年1月29日 86歳没
20世紀前半最大のヴァイオリニストの一人。
作曲家としての代表作『愛の喜び』『愛の悲しみ』は多くの人に親しまれています。


Kreisler: The Complete Recordings

『愛の喜び Liebesfreud』
ヴァイオリン:クライスラー(1938年演奏)
ピアノ:フランツ・ルップ (1901–1992)

生涯

1875年 ウィーンに開業医の父のもとに生まれる。
音楽好きで、アマチュアの弦楽器奏者でもあった父の勧めで3歳の頃からヴァイオリンを習い始め、すぐさま楽才をあらわす。
1883年7歳 特例でウィーン高等音楽院に入学し、最年少の学生としてヴァイオリンの他に、A.ブルックナー(1824-1896)から作曲を学ぶ。
1885年10歳 同音楽院を首席で卒業し、パリ高等音楽院に入学。
1887年12歳 パリ高等音楽院を首席で卒業。以降、誰にもヴァイオリンの指導を受けていない。
1888年13歳 アメリカのボストンで初めて行った演奏会が成功を収める。
1889年14歳 オーストリア帰国後、「神童」としてもてはやされることを嫌い、高等学校で医学を学ぶ。
1895年20歳 オーストリア帝国陸軍に入隊、親衛隊に配属されるが、家庭の都合で除隊。音楽界に復帰し、再びヨーロッパ各地で演奏活動を行う。
この頃ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の入団試験を受けたが入団叶わず、レパートリー拡大のために少しずつ作曲を始める。
1899年24歳 A.ニキシュ(1855‐1922)指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演がE.イザイ(1858-1931)に絶賛され、その名が知られるようになる。
1902年27歳 ロンドンデビューが成功を収め、イギリスを本拠地として活動。
レコーディング活動も始める。
同年 前年に出会ったアメリカ人のハリエット・リースと結婚。以後、彼の生活の管理や有能なマネージャーとして彼を支え、音楽家として大成する一助となった。
1905年30歳 『ヴァイオリンとピアノのための楽曲』出版。
その中におさめられた『愛の悲しみ Liebesleid』『愛の喜び Liebesfreud』 『美しきロスマリン Schön Rosmarin』3部作「ウィーン古典舞曲集 Alt-Wiener Tanzweisen」はよく知られる。

『愛の悲しみ 』
ヴァイオリン:クライスラー

1914年39歳 第一次世界大戦が勃発し陸軍中尉として東部戦線に出征。重傷を負い除隊。除隊後はニューヨークの自宅に戻り、療養しながら演奏活動を再開する。
大戦終結後はヨーロッパ楽壇に復帰。この頃から、S.ラフマニノフ(1873-1943)と親交を深め、共演した録音を残した。ラフマニノフは『コレルリの主題による変奏曲』をクライスラーに献呈し、『愛の喜び』と『愛の悲しみ』をピアノ独奏用に編曲し、クライスラーはラフマニノフの歌曲にヴァイオリンのオブリガードを追加した編曲を残した。

F.シューベルト:ヴァイオリンソナタ第5番
ヴァイオリン:クライスラー
ピアノ:ラフマニノフ

1923年48歳 初来日。
1926年51歳 レオ・ブレッヒ指揮でベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲』録音。彼の名盤の一つとされる。

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 Op.61
ヴァイオリン:クライスラー
指揮 :レオ・ブレッヒ(1871—1958)
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

1938年63歳 ベルリンに拠点を置いていたが、オーストリアがナチス・ドイツに併合されたのを機にフランス国籍を取得し、パリに移住。
1939年64歳 ヨーロッパに第二次世界大戦の足音がしのびより、ニューヨークに移住。1943年68歳でアメリカ国籍を取得。以後一度もヨーロッパに戻ることはなかった。
1945年70歳 交通事故で重傷を負い、再起不能と伝えられたが、奇跡的にカムバック。
1950年75歳 事故の後遺症もあり、引退。
1962年1月29日86歳 ニューヨークで心臓疾患のため亡くなる。


クライスラー:自作自演集

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