12月29日1876年【パブロ・カザルス】

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パブロ・カザルス
Pablo Casals
Pau Casals

[チェリスト/スペイン]
1876年12月29日 – 1973年10月22日 96歳
J.S.バッハの『無伴奏チェロ組曲』を再発見し、チェロの近代的奏法を確立した20世紀最大のチェリスト。
スペインのカタルーニャ地方出身で、フランコ独裁政権への抗議や反ファシズムの姿勢を取り、1950年代後半からはシュバイツァーとともに核実験禁止の運動に参加するなど平和活動を活発に行いました。1971年10月24日(92歳)、ニューヨーク国連本部で国連平和賞が授与された際、カタルーニャ民謡『鳥の歌』の演奏と共に「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は peace(平和)、peace と鳴くのです」と語ったことはあまりにも有名。


カザルスとの対話

 

バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番 BWV 1007 (1954年8月77歳)

生涯

1876年 スペイン・カタルーニャ地方タラゴナ県アル・バンドレイに生まれる。
4歳でピアノを始め、6歳で「マズルカ」を作曲。9歳でオルガンを始める。
1887年11歳 チェロを始める。
1888年12歳 第1回バルセロナ万博が行われたこの年、バルセロナに移住。
同年 バルセロナ市立音楽院に入学。1893年まで、チェロ、ピアノ、音楽理論、作曲などを学ぶ。チェロはホセ・ガルシアに、作曲は当時の音楽院長であったホセ・ロドレダに師事する。
1890年14歳 バルセロナの楽器店でバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会う。マドリードに移り、スペイン王室の庇護を受けるようになる。
1896年20歳 バルセロナの音楽学校で教え始める。以後はバルセロナを拠点に、パリやニューヨークにも住みながら、世界を演奏旅行した。
1899年23歳 パリデビュー。
1904年28歳 バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏する。
1905年29歳 アルフレッド・コルトー(1877-1962)、ジャック・ティボー(1880-1953)と「カザルス三重奏団」を結成。
1908年32歳 コンセール・ラムルー管弦楽団の演奏会で指揮者兼ソリストを務める。

チェロを学び始めた頃から、当時の両ひじを両脇につけたまま演奏するスタイルに違和感を感じており、独自の奏法を追究し両腕を柔軟に自由にし表現性を飛躍的に広げた。
この奏法の改革がなければ、20世紀のチェロ無伴奏作品のほとんどが作曲されることはなかっただろうと言われる。

1919年43歳 第一次世界大戦の影響により、カタルーニャに戻る。
1931年55歳 カタルーニャ自治政府誕生を祝う記念式典(ムンジュイック宮殿、現カタルーニャ美術館)において、自らのオーケストラと地元の合唱団とともに、ベートーヴェンの『交響曲第9番』を指揮。それまでどの選挙でも投票しなかったカザルスは、この時には自治政府首班フランセスク・マシア(1859-1933)に一票を投じた。
1939年63歳 スペイン内戦のため、フランスへ亡命。スペインとの国境に近いプラドに隠棲。終生フランコ独裁政権への抗議と反ファシズムの立場を貫き、ナチス・ドイツに迎合する姿勢を示していたコルトーとの決別、カザルス三重奏団の解散へとつながった。
1945年6月68歳 演奏活動を再開。この頃からカタルーニャ民謡『鳥の歌』(El Cant dels Ocells)を演奏し始める。この曲には、故郷への思慕と、平和の願いが結びついており、以後カザルスの愛奏曲となった。
同年11月 各国政府がフランコ政権を容認したことに抗議して11月から演奏活動を停止。この間、多くのチェリストがカザルスのレッスンを受けるためにプラドを訪れた。日本人では岩崎洸、佐藤良雄、平井丈一朗、上田真二らがいる。

1950年74歳 ヴァイオリン奏者アレクサンダー・シュナイダー(1908-1993 )の説得と尽力により、カザルスを音楽監督とするプラド音楽祭が開催され、その後プエルトリコへ移住するまで毎年開かれた。
1955年79歳 本拠地を、母と妻の故郷であるプエルトリコに移す。
この地でカザルス自身が音楽祭を開催し、1960年からは、ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)が主宰するマールボロ音楽祭に参加し、演奏家・指導者としてオーケストラを指揮・録音するようになる。

1950年代後半からはA.シュヴァイツァー(1875-1965)とともに核実験禁止の運動に参加した。
1960年82歳 自作カンタータ『まぐさ桶』を初演。
1961年83歳 弟子の平井丈一朗のために来日。東京交響楽団、京都市交響楽団を指揮。文京公会堂でスズキ・メソードで学ぶ児童400人の演奏を聴き「世界は音楽で救われるだろう」と述べた。
1971年10月24日92歳 世界国際平和デーであるこの日、ニューヨーク国連本部にて演奏会、国連平和賞が授与される。アンコールにカタルーニャ民謡『鳥の歌』をチェロ用に編曲し演奏。その際、平和を求めるメッセージとともに、「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は peace、peace と鳴くのです」と語った。

『鳥の歌 El cant dels ocells』(1971年10月24日)

1973年10月22日96歳 心臓発作によりプエルトリコで亡くなる。遺言により、生地ベンドレイの墓地に埋葬された。

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