12月5日1932年【フジコ・ヘミング】

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イングリット・フジコ・ヘミング
Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko

[ピアニスト/日本]
1932年12月5日 –  90歳
16歳の頃中耳炎の悪化により右耳の聴力を失うなど、音楽才能に恵まれながらも不遇が続き、ヨーロッパでピアノ教師をしながら欧州各地で演奏活動を続けた後、1995年63歳で日本へ帰国。
1999年2月11日にNHKで彼女のドキュメント番組が放映され、その後フジテレビでも取り上げられたことが大反響を呼び、弾き直しやミスタッチが多いものの、音楽性が人々の心を打つ演奏で、日本では引っ張りだこで演奏活動を続けています。


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公式ホームページより】

東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身のピアニスト、大月投網子とロシア系スェーデン人画家/建築家ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングを両親としてベルリンに生まれる。

5歳の時、帰国。以来母の手ひとつで東京に育ち、5歳から母、投網子の手ほどきでピアノを始める。また10歳から、父の友人だったロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツアー氏にも師事。クロイツアー氏は、「フジコはいまに世界中の人々を感激させるピアニストになるだろう」と絶賛した。青山学院高等部在学中、17歳でデビュー・コンサートを果たす。また、東京芸大在学中には、NHK毎日コンクール入賞、文化放送音楽賞など多数受賞。

東京芸大卒業後より、本格的な演奏活動に入り、渡辺暁雄指揮による日本フィルなど、数多くの国内オーケストラと共演。たまたま来日中だったサンソン・フランソワは、日比谷でのフジ子のショパン及びリストの演奏を聴き絶賛したという。
その後28歳でドイツへ留学。ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業。その後長年にわたりヨーロッパに在住し、演奏家としてのキャリアを積む。その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥーラ=スコダに師事。

今世紀最大の作曲家・指揮者の一人と言われる、ブルーノ・マデルナにウィーンで才能を認められ、彼のソリストとして契約したことは、フジコが最も誇りにしていることのひとつである。ちなみに、この契約に際しては、フジコの演奏に感銘を受けたレナード・バーンスタイン、ニキタ・マガロフ、シューラ・チェルカスキーからの支持、及び援助があった。
しかし「一流の証」となるはずのリサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われる。失意の中、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得、以後はピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。

1999年2月11日には、フジコのピアニストとしての軌跡を描いたNHKのドキュメント番組、ETV特集『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』が放映され大反響を巻き起こす。「フジコの演奏をもっと聴きたい」という視聴者からの要望が殺到し、番組は幾多に及び再放送され、さらに続編「フジコ、ふたたび〜コンサートin奏楽堂」も放送された。

1999年8月25日に発売されたファーストCD『奇蹟のカンパネラ』は200万枚(2012年4月現在)を超える売り上げという、クラシック界異例の大ヒットを記録し、いまだにその記録を更新し続けている。これまで2枚のCDで日本ゴールドディスク大賞、4度にわたる各賞のクラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。

2000年以来、モスクワフィルハーモニー管弦楽団、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団、ハンガリー放送交響楽団、ベルギー国立管弦楽団、イギリス室内管弦楽団他と共演。2001年6月には、ニューヨーク・カーネギーホールでのリサイタルに3000人の聴衆が会場を埋め尽くし、感動の渦を巻き起こした。集まった聴衆からは「マリア・カラス以来の大盛会」と絶賛の声が絶えず、大成功とともに演奏活動の幅を世界へと広げるための第一歩を踏み出した。2007年より現在までワルシャワショパンフェスティバル、パブロ・カザルスインターナショナルフェスティバル、ソフィアインターナショナルフェスティバルなどから招待されている。その他この10年にわたる世界中の伝統あるコンサートホールでのソロ公演や世界の第一線で活動する著名オーケストラ、ロイヤルフィルとの共演は枚挙にいとまがない。彼女と協演した際、ミシャ・マイスキーは“忘れ得ないピアニスト”、マキシム・ヴェンゲーロフは“あなたの芸術を賞賛します”と形容している。その他共演した多くのアーティストから絶賛されている。

2012年には、ビクターやユニバーサルの名門レーベル・Decca Recordsから数多くの名盤をワールドリリースしてきたフジコだが、ついに自主レーベルである「ダギーレーベル」を設立。これは、フジコ自身がリスナーに届けたい曲を、納得できる音質で録音し、世界に発信するという本人の音楽に対する強い決意によりために設立された。

公演活動で多忙を極める中、猫や犬をはじめ動物愛護への関心も深く、長年の援助も続けている。また、米国同時多発テロ後の被災者救済のために1年間CDの印税の全額寄付や、アフガニスタン難民のためのユニセフを通じたコンサート出演料の寄付、3.11東日本大震災復興支援チャリティーコンサート及び被災動物支援チャリティーコンサートといった支援活動を続けており、こうした人や動物を愛し支援する事を忘れない人間味溢れる人柄も多くのファンを魅了してやまない。

2018年、初のドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』が公開された。

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