12月3日1883年【A.ウェーベルン】

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アントン・ウェーベルン
Anton Webern

[ 作曲家 / オーストリア ]
1883年12月3日-1945年9月15日 61歳没
A.シェーンベルク(1874-1951)、A.ベルク(1885-1935)と共に新ウィーン楽派の中核として、世界的に多くの作曲家に影響を与えました。


Pierre Boulez Conducts Anton Webern Complete Works, Op. 1 – Op. 31

『管弦楽のための5つの小品 Op.10』(1913)

 

生涯

1883年 ウィーンにおいてクロアチアなどに領地を所有する貴族の家庭に生まれる。
母からピアノの手ほどきを受け、1899年16歳より独学で作曲を始める。
1902年19歳 ウィーン大学に入学し、G.アドラーのもとで音楽学を専攻し、ルネッサンス期ポリフォニーの研究を行い、博士の学位を取得したほか、和声法や対位法を学ぶ。
1904年21歳 アルバン・ベルク(1885-1935)らとともにアノルト・シェーンベルク(1874-1951)から作曲を学び、大きな影響を受ける。

大管弦楽のための牧歌『夏の風の中で』(1904)

1908年25歳『パッサカリア ニ短調 作品1』によって音楽家として独立を許される。生計を立てるために指揮者として活動。

1922年から1934年までウィーン労働者交響楽団の指揮者を務め、BBC交響楽団にも定期的に客演を続けた。
1935年52歳 ベルクが急逝し、『ヴァイオリン協奏曲』イギリス初演を指揮。その録音はリリースされている。

作曲家としては、第1次世界大戦終結後ウィーンにおいてシェーンベルクとともに私的演奏家協会を設立し、新作の発表を行った。
後期ロマン主義の伝統から出発し、無調音楽に向かい、シェーンベルクに続き十二音技法を採用した作品を発表したが、後期には音の凝縮と節約を原理とする点描的な手法による作品を発表。第2次世界大戦後、ブーレーズをはじめとした前衛的な作曲家による「ヴェーベルン・ルネッサンス」の運動を促し、「音列技法」の作曲家「新ウィーン楽派」(「第2次ウィーン楽派」)の1人として広く知られるようになった。

1938年55歳 オーストリアがナチス・ドイツに併合されて以降、彼の作品は「退廃音楽」「文化的ボルシェヴィズム」とされ、指揮者として失職。
1945年62歳 ザルツブルク近郊ミッタージルの娘の家に疎開。同年9月15日、喫煙のためにベランダに出てタバコに火をつけたところ、アメリカ兵により誤射され突然この世を去った。
娘婿が元ナチ親衛隊で、当時闇取引に関与しており、ドイツの無条件降伏によりオーストリアもアメリカによって征服されていた。アメリカ兵が闇取引の合図と誤解したものだった。

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