11月18日1826年【C.M.v.ウェーバー】

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カール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ウェーバー
Carl Maria Friedrich Ernst von Weber

[作曲家/ドイツ]
1786年11月18日-1826年6月5日 39歳没

ドイツ国民主義のオペラを完成させ、R.ワーグナー(1813-1883)へと流れを導きました。

従妹(父の兄の妹)がモーツァルトの妻という姻戚関係であることや、オーケストラの配置を現在に近い形に改め、指揮棒を初めて用いた人物としても知られています。


Carl Maria von Weber in seiner Zeit

『魔弾の射手』序曲(1821頃)
指揮:カラヤン(1908-1989)
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1975)

 

生涯

1786年 現在のドイツ・リューベック近郊オイティーンに生まれる。
片足が不自由であり、小児麻痺であったとも伝えられる。
1787年1歳 劇団を結成した父と共に、幼いころからドイツ、オーストリア全土を回る生活を送った。
父は兄の娘コンスタンツェがモーツァルトと結婚したことから、自分の息子の音楽教育にも熱心で、ウェーバーが9歳ごろから旅先のザルツブルクやウィーンで有名な音楽家から音楽教育を受けさせた。
1799年13歳 初のオペラ『愛と酒の力』を作曲し上演もされた。
1804年18歳 ポーランドのヴロツワフの楽団の楽長に就任。
この年、エッチング用の硝酸をワインと思い誤飲し、声を失う。
1813年 チェコ共和国プラハ歌劇場の芸術監督に就任。
オペラの改革に尽力し、衰退していた歌劇場を再興させる。
1817年31歳 ドイツのザクセンの宮廷楽長に任命。主流であったイタリア・オペラから、ドイツ・オペラを根付かせることに成功。

また、当時最高のピアニストとしてヨーロッパ各地で演奏を行った。小柄な身体ながら、10度の和音を捉える事ができ、技巧的な面だけでなくピアノ音の色彩感を追求した豊かな表現力においても秀でたピアニストだった。

『舞踏への勧誘』(1819)
ピアノ:ウィリアム・ウェルボーン

1821年35歳 ベルリンで『魔弾の射手』初演。ドイツ語の台本によるゲルマン民族の風土である森林を背景にした狩人の物語は大成功を収めた。
ワーグナー(1813-1883)やベルリオーズ(1803-1869)など後のドイツの楽劇の発展に大きな影響を与え、ドイツ国民オペラの代表作となる。ナチス時代には盛んに演奏された。

1826年 ロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場の依頼により、英語によるオペラ『オベロン』を作曲。
結核を患っていたことを家族に隠したまま、家族を養うため渡英し、自ら指揮をして大成功を収めた。
1826年6月5日39歳 病状が悪化し、ロンドンで客死。
その遺骨は、18年のちの1844年、ワーグナーの力添えにより、息子マックスに見守られながらロンドンからドレスデンに帰還した。

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