11月18日1898年【近衞 秀麿】

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近衞 秀麿
このえ ひでまろ

[指揮者/日本]
1898年11月18日 – 1973年6月2日 78歳
山田耕筰(1886-1965)とともに日本交響楽協会を創立し、新交響楽団(現NHK交響楽団)を結成、育成に努めた日本のクラシック界の草分け。「おやかた」という愛称で親しまれていました。
近衛文麿の異母弟で元子爵。正三位勲三等。元貴族院議員。後陽成天皇の男系十二世子孫。


音楽家 近衛秀麿の遺産

生涯

1898(明治35)年11月18日 公爵近衞篤麿の次男として東京市麹町区(現:千代田区)に生まれる。異母兄に近衞文麿(政治家・元内閣総理大臣)、実弟に近衞直麿(雅楽研究者)、水谷川忠麿(春日大社宮司)がいる。
近衞家は五摂家筆頭で、皇室内で雅楽を統括する家柄。品行方正な兄の文麿のに比べやんちゃだったが兄の影響で音楽に興味を持つようになる。
学習院初等科、中等科、高等科を経て、東京帝国大学文学部に入学するが中退。
1915(大正4)年17歳 ドイツでの作曲留学から帰国したばかりの山田耕筰(1886-1965)に作曲を学ぶ。一方で東京音楽学校にあった交響曲を写譜するなどオーケストラへの興味を強める。
1920(大正9年)年22歳 瀬戸口藤吉が主宰していたアマチュアオーケストラを瀬戸口の代演で指揮し、指揮者デビュー。
1923(大正12)年25歳 ヨーロッパに渡り、ベルリンで指揮をエーリヒ・クライバー(1890-1956)らに、作曲をフルトヴェングラー(1886-1954)の師として知られるM.V.シリングス(Ⅰ868-1933)、らに学び、パリで作曲をダンディ(1851–1931)らに師事。
1924年1月18日25歳 山田耕筰と同様に自腹でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を雇った自主公演ではあるが、ヨーロッパでの指揮者デビューを果たす。
同年9月 数多くのオーケストラ用楽譜を手に入れて帰国。

1925(大正14)年27歳 山田耕筰と協力し、「日本交響楽協会」を設立。
1926年28歳 歌舞伎座で「日露交歓交響管弦楽演奏会」(近衛指揮でベートーヴェン『交響曲第5番』、山田指揮で自作およびR.コルサコフ『シェエラザード』)全4日間を成功させ、定期演奏会を開始。
同年 この協会から離れ「新交響楽団」を組織。常任指揮者となり、日本にオーケストラを根付かせるべく精力的に活動した。その後「新交響楽団」は1951年に「NHK交響楽団」となった。
1930(昭和5)年32歳 マーラー『交響曲第4番』を世界初録音。


マーラー:交響曲 第4番「世界初の全曲電気録音」

1930年秋 ヨーロッパに単身演奏旅行により、楽団のレベルアップの必要性を痛感し「革新実行委員会」を作り、1931年秋に楽員をリストラ。「コロナ事件」と呼ばれる。
1935年7月13日36歳 楽員一同がマネージャーである原の不明朗経理を糾弾し、同時に新響を法律上の組合組織に改組する旨宣言。これを機に新響を退団。
1936年38歳 新響と一応の和解を果たす。同年、首相広田弘毅の任命で音楽使節として再び海外を訪れる。アメリカでストコフスキー(1882-1977)、A.トスカニーニ(1867-1957)らと面会、ヨーロッパではBBC交響楽団やドレスデン、リガの歌劇場などに客演するなどヨーロッパを拠点に数々のオーケストラを指揮し「プリンス・コノエ」と呼ばれた。

1945年4月46歳 ドイツの敗戦によりライプツィヒでアメリカ軍に抑留され、アメリカ経由で12月に帰国。その直後12月16日、兄で元首相の文麿(1891-1945)が服毒自殺をした。
1946年48歳 東宝交響楽団の常任指揮者に就く。
1948年50歳 日本芸術院会員となる。
1949年51歳 知り合いの楽員を集め、学校での音楽教室を主眼とする「エオリアン・クラブ」を結成。
1950年52歳 東宝争議により東宝交響楽団を去る。

1950年のニュース映像

1952年54歳 エオリアン・クラブを軸に第一生命の後援を受け、近衞管弦楽団を設立。
1956年58歳 近衛管弦楽団をABC交響楽団(ABC響)に改組。
1960年62歳 ABC響ヨーロッパ演奏旅行に指揮者として渡欧。
ABC響の演奏旅行はプロモーターに逃げらるなど困難続きだった。

ABC響の消滅以後、再びフリーの指揮者として、プロ・アマ問わず多くのオーケストラを指揮した。
1966年68歳 音楽学校設立に関する手形詐欺事件に巻き込まれ、東京赤坂の自宅を手放す。
1967年69歳 N響の第484回、第485回定期演奏会に出演。
1968年7月69歳 民社党から参議院議員選挙に立候補(京都地方区)したが落選。
同年 読売日本交響楽団を指揮し、ベートーヴェンシューベルトスメタナドヴォルザークなどの作品を録音。現在CD化されている。

ベートーヴェン:交響曲第5番
(1968年録音)

1969年71歳 創設されたばかりの日本フルトヴェングラー協会の会長に就任。

作曲家としての代表作に童謡「ちんちん千鳥」や立命館大学および法政大学の校歌などがある。また雅楽『越天楽』のオーケストラへの編曲は非常に高い評価を得ている。
亡くなる直前まで指揮活動や後進の指導にあたり、晩年の不遇もあったものの「おやかた」の愛称にふさわしい活動を行った。

1973年6月2日78歳 世田谷区野毛の自宅で就寝中に脳内出血を起こし急死した。
没後に行なわれた追悼演奏会では、前年に分裂した「日本フィルハーモニー交響楽団」と「新日本フィルハーモニー交響楽団」双方の楽員が、立場を超えて、秀麿を偲び共に演奏した。


近衛秀麿 亡命オーケストラの真実


戦火のマエストロ 近衛秀麿

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