11月14日1900年【A.コープランド】

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アーロン・コープランド
Aaron Copland

[ 作曲家 / アメリカ ]
1900年11月14日-1990年12月2日 90歳没
アメリカン・インディアン、黒人(ジャズ)、開拓時代の新大陸などアメリカ民謡を取り入れ、親しみやすく明快な曲調で「アメリカ音楽」を作り上げた、20世紀前半のアメリカを代表する作曲家です。


コープランド、ベルリン・フィルを振る ~ コープランド : クラリネット協奏曲 & 交響曲 第3番 他 (1970)

 

『エル・サロン・メヒコ』
指揮:コープランド
ニューヨークフィルハーモニック
(1960年12月12日演奏)

生涯

1900年 ロシア風の名前カプランを、アメリカ風の名コープランドに変えたリトアニア系ユダヤ人の移民の5番目の子として、ニューヨーク州ブルックリンに生まれる。
母から音楽のレッスン受け、8歳で作曲を始め、13歳より本格的にピアノを習い始める。
15歳の時、ポーランド初代首相を務めたピアニストであり作曲家パデレフスキのコンサートに感激し、作曲家になることを決意。父の反対により通信教育で和声学を勉強した。
1918年18歳 高等学校を卒業後、ハイドンベートーヴェンショパンワーグナードビュッシースクリャービンなどの作品を勉強し、歌曲やピアノの作曲を始める。
1921年21歳 パリのフォンテンブロー・スクールに留学。ポール・ヴィダル(1863年-1931)やナディア・ブーランジェ(1887–1979)ら名教師たちに師事し、一方でソルボンヌ大学に通い、ヘミングウェイ、ピカソ、シャガール、モディリアーニなど幅広い芸術家たちと交流を深める。

1924年24歳 ニーューヨークに戻る。フランスで手がけたデビュー作品『オルガンと管弦楽のための交響曲』(1924)がクーセヴィツキー(1874-1951)に高く評価され、アメリカ作曲家連盟の委嘱を受ける。
1925年25歳 グッゲンハイム奨学金の受賞(1925年及び1926年)。
同年、師であるブーランジェをオルガニストに迎え、カーネギーホールで『オルガンと管弦楽のための交響曲』初演が大成功を収め、一躍その名が広まった。

1932年32歳 友人である作曲家・指揮者カルロス・チャベス(1899-1978)の招きで初めてメキシコ訪問。ナイトクラブ「エル・サロン・メヒコ」で聴いたキューバ風の楽団に刺激を受け、1936年『エル・サロン・メヒコ』を作曲。1937年チャベスの指揮によりメキシコシティで初演。1938年アメリカでラジオ放送され大ヒットとなった。バーンスタインは、ピアノソロ、デュオ版に編曲している。

アメリカの民謡や風景などを採り入れた聴きやすいアメリカン・クラシックを作り続け「最もアメリカ的な作曲家」といわれるようになる。
出世作『エル・サロン・メヒコ』を経て、ジャズやアメリカ的要素を積極的に取り入れた作品を目指すようになり、バレエ音楽『ビリー・ザ・キッド』(1938)『ロデオ』(1942)『アパラチアの春』(1944)でアメリカ的個性をもつコープランドのスタイルとして確立。

1942年42歳 指揮者ユージン・グーセンスの依嘱により『市民のためのファンファーレ』作曲。20世紀音楽の中で最も分かりやすい作品の一つであり、アメリカ合衆国が生んだ芸術音楽の古典とされる。

『市民のためのファンファーレ Fanfare for the Common Man』

1945年45歳 『アパラチアの春』が1945年度ピュリツァー賞ならびにニューヨーク音楽批評家賞を受賞。

『アパラチアの春』
指揮:アロンドラ・デ・ラ・パーラ(1980-)
hr交響楽団(2020年6月26日演奏)

ピアノ曲では『変奏曲』『ソナタ』(1941)、12音技法を使用した『幻想曲』、ジャズを取り入れた『ピアノ協奏曲』(1926)などがよく演奏され、その他にオペラ、映画音楽、交響曲、管弦楽曲、室内楽曲、歌曲などに多くの作品を残し、指揮活動、音楽の教授や評論など幅広く活躍した。また、その活躍と共に初期のジャズの手法を用いたものから、新古典主義に傾倒していき、後年は12音技法や電子音楽、ミュージック・コンクリートも採り入れるなど作風が変化している。

 

『ピアノ協奏曲』(1926)
ピアノ:A.コープランド
指揮:L.バーンスタイン(1918-1990)
演奏:ニューヨークフィルハーモニック(1964年2月8日演奏)

1950年50歳 映画女相続人』(1949)アカデミー音楽賞受賞。
1990年12月2日90歳 ニューヨークで亡くなる。

 

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