10月10日1813年【G.ヴェルディ】

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ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ
Giuseppe Fortunino Francesco Verdi

[ 作曲家 / イタリア ]
1813年10月10日-1901年1月27日 87歳没
あらゆるオペラ作品の中で、上演回数が最も多いのがヴェルディの作品です。イタリア-オペラを最高の高みに導きました。
代表作品『リゴレット』(1851)『イル・トロヴァトーレ』『椿姫』(1853)『アイーダ』(1871)『オテロ』(1887)『ファルスタッフ』(1893)『レクイエム』(1873)など。

生涯

1813年 ブッセート近郊のレ・ロンコーレに貧しい酒場を兼ねた宿屋の長男として生まれる。
同年にR.ワーグナー(1813-1883)が生まれているが、両者間の交流や直接的影響は生涯にわたって全くなく、それぞれの分野で大きな業績を残した。

1820年7歳 教会の聖歌隊に入り、オルガニストのもとで音楽を学び始める。父親にスピネット(家庭用小型チェンバロ)を買い与えられ夢中になる。
1822年9歳 レ・ロンコーレの教会のオルガニストに就任。
1823年10歳 中学に進学し、オルガニストの仕事を続けながら本格的な音楽の勉強に取り組む。
1831年18歳 下宿先のバレッツィの娘、マルゲリータと婚約。
1832年 ミラノの音楽院を受験するが不合格となり、その後ミラノ音楽院の教授に個人レッスンを受ける。
1834年 ミラノでハイドンの《天地創造》を、代役で3人の忙しい指揮者に代わり指揮し評判になる。
1836年23歳 ブッセート市立音楽学校の教師に採用される。マルゲリータと結婚。
1839年26歳 教師を辞め一家でミラノに移る。
ミラノスカラ座で『オベルト』初演が成功し、スカラ座と3つのオペラ契約。
1842年29歳 二人の子供たちと妻を相次いで亡くし、失意の中で作曲した作品が失敗し絶望していた時期に出会った台本の一文「行けわが想いよ、黄金の翼に乗って」が心に留まり、オペラ『ナブッコ』が完成。スカラ座での初演は大成功し、人気作曲家となる。
当時、イタリアは祖国統一運動の中であり、ユダヤ人たちが歌う『行け我が想いよ、黄金の翼にのって』に民衆は熱狂し、第二の国歌のように広く歌われた。

歌劇《ナブッコ》より 「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」
指揮:A.トスカニーニ(1867-1957)

1847年 ジュゼッピーナ・ストレッポーニと同棲を始める。1859年に結婚する前に子供が生まれる。
1851年『リゴレット』 ヴェネツィアで初演。
サンターガタに引越し、農園経営を始める。
1853年1月『イル・トロヴァトーレ』ローマでの初演に続き、3月に『椿姫』がヴェネツィアで初演されるが、プリマドンナの体格が良く、薄幸のヒロインのイメージに合わなかった為に失敗。配役を見直し5月、同じヴェネツィアで再演され大喝采を浴びた。

”椿姫”『さようなら、過ぎ去った日々よAddio del pasato』
ヴィオレッタ:ネトレプコ(1971-)
カルロ・リッツィ(1960-)指揮/ウィーンフィル
2005年ザルツブルク音楽祭
1859年8月29日45歳 43歳となったジュゼッピーナと結婚。
1861年 国会議員に選出される。
1867年『ドン・カルロ』パリ、オペラ座で初演。
1868年55歳 ブッセートにヴェルディ歌劇場が完成。(1万フラン寄付)
1871年 スエズ運河開通記念にカイロに建てられた歌劇場のこけらおとしのために依頼された作品『アイーダ』がカイロで初演され大成功する。

1874年61歳『レクイエム』ミラノのサン・マルコ教会で、ヴェルディの指揮により初演。

農場経営は順調で、作品の著作権料収入は莫大なものになっており、奨学金や橋の建設への寄付、病院の建設計画に取り組むなど熱心に慈善活動を行い、音楽からしばらく離れる。

1887年74歳『オテロ』ミラノ、スカラ座で初演。
1888年75歳 ヴィッラノーヴァに慈善病院を開院。
1893年80歳 最後のオペラとなる喜劇『ファルスタッフ』がミラノ、スカラ座で初演。
1897年84歳 妻ストレッポーニ死去。
1899年86歳 養老院「音楽家のための憩いの家」ミラノ郊外に完成。音楽練習室とホールがあり、施設の運営はヴェルディの没後50年間は彼の著作権料で賄われ、現在は施設利用料と寄付で運営されている。
ドキュメンタリー映画『トスカの接吻』(1984)で紹介され、この養老院からインスピレーションを得て映画『カルテット!人生のオペラハウス』が製作された。

ヴェルディは公に出ることを嫌い、イタリア政府の勲章やドイツ出版社の伝記を断り、病院や音楽院に彼の名前を付けることを許さなかった。(「ヴェルディ音楽院」は彼の没後に改称された)

1901年1月21日87歳 ミラノのホテルで卒中で倒れ、意識不明のまま27日に亡くなる。
ジュゼッピーナと共に「音楽家のための憩いの家」の礼拝堂に埋葬される。
1962年から1981年まで、1000リレ(リラの複数形)紙幣に肖像が採用されていた。

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