10月1日1865年【P.デュカス】

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ポール・アブラアム・デュカス(デュカ)
Paul Abraham Dukas

[ 作曲家 / フランス ]
1865年10月1日-1935年5月17日 69歳没
完璧主義者だった彼は、自信作以外は破棄していたので、残された作品はわずか13曲。
『魔法使いの弟子 L’apprenti sorcier』はディズニー映画『ファンタジアFantasia』に使用されるなど最も知られる代表作です。


デュカス : 魔法使いの弟子 他

『ファンタジア』より『魔法使いの弟子』

生涯

1865年 パリでユダヤ人の銀行家の父とピアニストだった母のもとに生まれた。
1870年5歳 母が亡くなる。
1878年13歳 独学で音楽の勉強を始め、この頃から作曲をする。
1882年17歳 パリ音楽院に入学。音楽院でドビュッシー(1862-1918)と知り合い、生涯の友となる。
1889年24歳 ローマ大賞をのがし、失望のあまり音楽院を退学し、ルーアンで従軍する。軍楽隊でバンドマスターと知り合い、除隊後再び音楽の道を進む。
1892年27歳 ラムルー(1859-1923)の演奏会で管弦楽曲『序曲ポリュークト』が本格的なデビューとして初演され、成功をおさめる。
1897年32歳 交響的スケルツォ『魔法使いの弟子』作曲。出世作となる。

『魔法使いの弟子』
フランス放送フィルハーモニー管弦楽団


魔法使いの弟子 [連弾・2台ピアノ]楽譜

1901年36歳『ピアノソナタ 変ホ短調』を作曲。フランスピアノ音楽史の上で重要な作品とされる。

『ピアノソナタ』
ピアノ:フランソワ=ルネ・デュシャーブル(1952-)1978年演奏

1902年-1917年 新聞や雑誌に評論を執筆。
クープラン(1668-1733)、ラモー(1683-1764)、スカルラッティ(1685-1757)、ベートーヴェン(1770-1827)、サン=サーンス(1835-1921)らの作品の校訂や編曲を行う。
1910年45歳 パリ音楽院管弦科教授に就任。
1927年62歳 パリ音楽院の作曲科、エコール・ノルマルの作曲科の教授を務め、メシアン(1908-1992)、デュリュフレ(1902-1986)らに教えた。
1934年69歳 フランス学士院会員に選ばれる。
1935年5月17日69歳 パリで亡くなる。パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されている。

作品

音楽評論の執筆にあたり自らの作品をも厳しく批評し、作曲には完璧を目指し、1年に1作、あるいは『アリアーヌ』のように10年を要したものもあり、1920年代には大半の作品を破棄したこともあり、公表した作品は僅か20曲足らず。晩年に破棄した未完・未発表の作品は70数曲。
ストラヴィンスキー(1882-1971)やフランス六人組、ウィーン表現主義など当時の音楽の流れに共感を示さず、彼独自の作風はシェーンベルク(1874-1951)やベルク(1885-1935)に影響を与えた。

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