9月29日1861年没【T.バダジェフスカ】

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テクラ・バダジェフスカ=バラノフスカ
Tekla Bądarzewska

[ 作曲家・ピアニスト / ポーランド ]
1829/34/38年-1861年9月29日 23~32歳没

生年月日が不明ですが、知っておいてほしい音楽家『乙女の祈り』を作曲したバダジェフスカ。
ここでは音楽家の誕生日をご紹介していますが、今日は彼女が亡くなった日です。

『乙女の祈り』は、同じ和声(コード)進行で難易度はそれほど高くないのですが、ピア二スティックで演奏効果が高いので、ピアノ発表会で、初級者に絶大な人気があります。

 

『乙女の祈り』
ピアノ:牛田智大(1999‐)

生涯

ワルシャワから北北西に100km離れた町ムワヴァに生まれた。
生年は1829年、1834年、また1838年とする説がある。
本格的な音楽教育は受けていなかったが、サロンでのピアノ演奏家として活躍し、作曲も行っていた。

1851年『乙女の祈りOp.4』を作曲し、ポーランド日刊紙に楽譜の広告を出したり、バダジェフスカ自身が自宅や音楽ショップで手売りもした。翌年には第8版を重ね、ポーランド国内で100万部売れた。

1859年 フランスの著名な音楽雑誌が雑誌の付録に楽譜を付けたことから、その名が広く知られるところとなった。

その後結婚し、夫のヤンは彼女の音楽に理解があり、3人の実子と、姉の2人の子供を引き取り、5人の子供の母親となった。
彼女の名前を冠して出版された曲が世界中に100曲ほどあるが、その信憑性は低く、確実に彼女の作品として出版されたものは、『乙女の祈り』『マズルカ』『甘き夢』『田舎小屋の思い出』の4編のみである。
1861年 ワルシャワにて病死。夫はワルシャワの墓地に、楽譜を携え立つ立派な墓を建てた。

この時代のポーランドは、ロシア・ドイツ・オーストリアの3国による分割統治の下にあったため、ポーランドの伝統や文化を表向きに守れなかったことや、第二次世界大戦時にワルシャワ市はユダヤ人街だっため、ナチスにより徹底的に壊滅させられたことから、彼女についての記録が少ない。
また、共産主義政権下のポーランドでは、この曲の「祈り」という言葉が不適切とされたことや、音楽に高い芸術性を求めた権威主義の音楽界において、アマチュアの少女の曲に対し「浅薄で素人くさい」と、19世紀の音楽事典が酷評したことが、本国ポーランドで認知度の低さの理由とされている。ちなみに「乙女」は、聖母マリア--乙女/処女を意味する。

日本における『乙女の祈り』は、明治時代にピアノ教本と共に楽譜が持ちこまれて以来、「ピアノ発表会」の定番であり、オルゴール曲などあらゆる場面によく使われている。また、60年代の川崎市をはじめとする日本各地や台湾で、ゴミ収集車が回収時に流す地域が多かったため、日本と台湾ではピアノに馴染みのない人々にもよく知られている。


ピアノピース 乙女の祈り/バダジェフスカ

近年は、日本で有名な曲であることを知ったポーランドからの留学生などにより、バダジェフスカとこの曲が再発見され、母国ポーランドで彼女の業績を再評価する活動が行われ、ポーランドでの認知度が上がってきている。


かなえられた乙女の祈り~バダジェフスカ作品集

 

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