9月26日1898年【G.ガーシュウィン】

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ジョージ・ガーシュウィン
George Gershwin

[ 作曲家 / アメリカ ]
1898年9月26日-1937年7月11日 38歳没
大ヒットした『のだめカンタービレ』で使用され多くの人になじみ深い『ラプソディ・イン・ブルー』をはじめ『パリのアメリカ人』『サマー・タイム』『ポーギーとベス』など、ポピュラー音楽・クラシック音楽の両面で兄と共に活躍しました。


ガーシュウィン ベスト・オブ・ベスト

 

『ラプソディ・イン・ブルー Rhapsody in Blue』(ピアノソロ版)
ピアノ:ガーシュウィン

生涯

1898年 ニューヨークのブルックリンにユダヤ系ロシアの移民の息子として生まれた。本名はジェイコブ・ガーショヴィッツ(Jacob Gershowitz)。
1910年12歳 近所のピアノ教師のレッスンを受けはじめる。
1913年15歳 母の勧めで商業高等学校に通うかたわら、ピアノ、音楽理論、オーケストレーションを学び、作曲をはじめる。
1914年16歳 クラシックのピアニストを目指したが、高校を中退し、出版社で楽譜宣伝の為に演奏するピアニストになる。そこで当時のジャズ界に君臨していたジェローム・カーン、アーヴィング・バーリン、フレッド・アステア兄弟等と知り会い、大きな影響を受けた。

1918年2月19歳 T・B・ハームズ社と作曲家契約。
1919年5月20歳 ブロードウェイデビューとなるヘンリー・ミラー劇場でミュージカル『ラ・ラ・ルシール』初演。その後100回の公演を続ける。
同年、10代の頃に作曲した『スワニー』を当時大スターであったアル・ジョルソン(1886-1950) が歌い、ミリオンセラーとなる。

1920年代以降は、作詞家となった兄アイラ・ガーシュウィンと組み、フレッド&アデール・アステア、ボブ・ホープ、ジミー・デュランテやガートルード・ローレンスたちに曲を提供し、『私の彼氏(The Man I Love)』『バット・ノット・フォー・ミー』『アイ・ガット・リズム』など発表。

『アイ・ガット・リズム I Got Rhythm』
ピアノ:ガーシュウィン(1931年8月演奏)

1921年23歳 コロンビア大学の夏季講座を聴講し、楽器学、作曲等を学ぶ。
1924年2月12日25歳 ニューヨークで行われた「アメリカ近代音楽の歴史をたどるコンサート」で『ラプソディ・イン・ブルー』初演。招待客にはストラヴィンスキー(1882-1971)、ラフマニノフ(1873-1943)、クライスラー(1875-1962)、ハイフェッツ(1901-1987)、ストコフスキー(1882-1977)、スーザ(1854-1932)など多くの著名人がおり、ジャズとクラシックを融合させた「シンフォニック・ジャズ」として世界的に高く評価された。1984年ロサンジェルスオリンピックの開会式において、84台のピアノで演奏された。


ラプソディ・イン・ブルー/小型スコア

『ラプソディ・イン・ブルー Rhapsody in Blue』
指揮/ピアノ:L.バーンスタイン(1918-1990)
ニューヨーク・フィルハーモニック(1976年演奏)

1925年12月27歳 カーネギー・ホールで『ピアノ協奏曲 ヘ長調』初演。

『ピアノ協奏曲』
ピアノ:ユジャ・ワン(1987-)
指揮:マイケル・ティルソン・トーマス(1944-)
ロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団

1928年30歳 休養と勉強をかねてロンドン、パリ、ドイツ、ウィーンなどを周り、ラヴェル(1875-1937)、プーランク(1899-1963)、ミヨー(1892-1974)、ストラヴィンスキー(1882-1971)、プロコフィエフ(1891-1953)、レハール(1870-1948)、ベルク(1885-1935)ら多くの音楽家に会う。
ラヴェルに教えを願った際「一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はないでしょう」と断られたエピソードはよく知られている。
この旅行中のパリの印象を描いた交響詩『パリのアメリカ人』を、同年12月カーネギー・ホールで初演し、大絶賛を受ける。

『パリのアメリカ人 An American in Paris』 (’51): “I Got Rhythm”

1929年8月30歳 ルイゾーン・スタジアムで指揮者デビュー。
1932年34歳 演劇部門でピューリッツア賞受賞。音楽理論家ヨーゼフ・シリンガーに師事。

1935年9月30日37歳 約10年の構想を経て1934年から手掛けたオペラ『ポーギーとベス』がオール黒人キャストで初演。ヘイワードが1925年に書いたベストセラー小説『ポーギー』を原作とし、南部の黒人音楽、ブルース、ジャズをはじめ黒人芸能や言葉遣いなど研究し、全編にジャズの手法を用いたもので、現在も世界のあらゆる国で上演されている。また作中の『サマータイム』はアメリカ音楽のスタンダードナンバーとして広く親しまれている。

『ポーギーとベス Porgy and Bess』
指揮:S.ラトル(1955-)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2012年演奏)

 

『サマータイム』エラ・フィッツジェラルド(1917-1996)

1935年以降、映画界中心に活動し『Shall We Dance』『踊る騎士 A Damsel In Distress』などフレッド・アステア(1899-1987)主演のミュージカルに数多くの歌を提供。

1936年の暮れごろから体調不良となり、たびたび発作を起こすようになる。
1937年7月9日38歳 脳腫瘍のためハリウッドで作曲中に倒れ昏睡状態となり、10日に脳腫瘍摘出手術を行ったが、11日に急逝した。

作品

38年と短い生涯であったが、オペラ2曲、ミュージカル50曲、映画音楽4曲と舞台作品を50曲残し、管弦楽曲7曲、室内楽曲2曲、ピアノ曲10曲、歌曲500曲を残した。
多調や十二音技法にも関心を持ち、A.ベルク(1885-1935)とA.シェーンベルク(1874-1951)と親交をもっていた。特にアメリカへ渡ったシェーンベルクはガーシュインの音楽を認め、ガーシュインはシェーンベルクの音楽を勉強し、テニス友達(テニスの腕前はガーシュインの方が上だった)でもあった。

『3つの前奏曲』(1926)
ピアノ:K.ツィメルマン(1956-)

 

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