9月13日1874年【A.シェーンベルク】

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アルノルト・シェーンベルク
Arnold Schönberg

[作曲家・指揮者・教育者]オーストリアーアメリカ
1874年9月13日-1951年7月13日 76歳没
無調音楽から「十二音技法」を築き、門下のA.ウェーベルン(1883-1945)やA.ベルク(1885-1935)とともに新ウィーン楽派と呼ばれ、20世紀音楽に最も大きな影響を与えた作曲家のひとり

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初音ミクが歌う『月に憑かれたピエロ』

 

生涯

1874年 ウィーンのユダヤ人商人の家庭に生まれる。
早くから音楽に興味をもち、8歳よりヴァイオリンを習い始め、9歳の時独学で最初の作品を作曲。その後チェロを独学で学ぶ。
1889年15歳 父が亡くなる。
1891年17歳 経済的理由から銀行に勤める(-1895)。
そのかたわら夜間はアマチュア・オーケストラでチェロを演奏し、そのオーケストラの指揮者ツェムリンスキー(1872―1942)から数か月の期間、対位法を学び、本格的な創作活動を開始。この数か月のレッスン以外はその後独学で、誰にも師事することは無かった。
1899年25歳 リヒャルト・デーメルの同名の詩を用いた弦楽六重奏曲『浄夜Op.4』作曲。初期の代表作となる。

『浄夜 Verklärte Nacht Op.4』(1899年/1917年弦楽合奏版に編曲)
指揮:P.ブーレーズ(1925-2016)
NYフィルハーモニックオーケストラ

1901年27歳 ツェムリンスキーの妹と結婚。
1902年28歳 ベルリンへ移り指揮者となる。
R.シュトラウス(1864-1949)の紹介でシュテルン音楽学校の教師となる。
1904年30歳 創造的音楽家協会設立に参画。

この頃からG.マーラー(1860-1911)と親交を結び、J.ブラームス(1833-1897)やR.ワーグナー(1813-1883)など後期ロマン派音楽の影響を受けながら、交響詩『ペレアスとメリザンド』(1903年)、語り手と独唱、合唱、大管弦楽のための『グレの歌』(1900年−1911年)などを発表し、表現主義的な無調性という新しい音楽様式を確立していく。

1910年36歳 ウイーン音楽院教授に就任。
1912年38歳 アリベール・ジローの詩による『月に憑かれたピエロ』作曲。M.ラヴェル(1875-1937)やI.ストラヴィンスキー(1882-1971)、P.ブーレーズ(1925-2016)らに影響を与える作品となる。

1920年 新しく12の半音を固定した音列を開発し、和音を発展させる「十二音技法」をつくりだし『5つのピアノ曲 Op.23』作曲。以後『セレナーデ』(1923)『ピアノ組曲』(1923)などが生まれた。

※ 12音とは”ド、ド♯、レ、レ♯、ミ、ファ、ファ♯、ソ、ソ♯、ラ、ラ♯、シ”のことである。調整では、12音の中から7音で構成される《例:ドレミファソラシ》音階が基本となるが、「無調整」ではその規律がなくなり、「十二音技法」では上記の12の音の中から新しく音列を作る。

『5つのピアノ曲 Op.23-5』
ピアノ:ピナ・ナポリターノ

音楽以外に1908年ごろから絵を描き始め、カンディンスキー主宰の有力な芸術雑誌’青い騎士’に、作品を載せられるほど、絵の才能にも恵まれていた。イメージ 1
アーノルト・シェーンベルク『自画像』68.5×49.5cm〈ウィーンミュージアム蔵〉

カンディンスキーはシェーンベルク作品に感銘を受け、彼のピアノ曲演奏風景を『印象・コンサート(1911年)』という作品にしている。

1925年ベルリン、1931年スペインへ移り、1933年59歳の時、ナチスのユダヤ人迫害によりアメリカへ亡命。
カリフォルニア大学で精力的な教育活動を行い、ナチズムの犠牲者に棒げられた『ワルシャワの生残り op.46』(1947年)など作曲活動をつづけた。
1941年67歳 アメリカの市民権を取得。

『ワルシャワの生残り op.46』
指揮:ホルスト・シュタイン(1928-2008)
バンベルク交響楽団

1951年7月13日76歳 喘息発作のために、ロサンゼルスにて亡くなる。
故郷ウィーン中央墓地に眠る。

『5つのピアノ曲Op.23』(1920-23年)
ピアノ:グレン・グールド(1932-1982)

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