【私の鶯(1945年)】- 音楽を題材にした映画

私の鶯

[監督]島津 保次郎
[原案]大佛 次郎
[製作]岩崎 昶
[音楽]服部 良一
[撮影]福島 宏
[出演]李 香蘭(山口 淑子)

1942年、満洲映画協会と東宝の共同製作として開始され、44年に完成。

ロシアの松丘洋行出張所代表として裕福な生活を送っていた隅田は、雪道で往生していたロシア人グループを家に連れて来て晩餐を行っていた。ロシア人一行は、帝室劇場付音楽団のデミトリ・イワノビッチたちとラズモフスキー。晩餐が終わるころ、外で軍閥同士の銃撃戦が始まり、逃げ出した一行だったが、途中、隅田は銃に倒れ、デミトリ一行、隅田の愛妻、赤ん坊を載せた馬車と離れ離れになってしまう。

隅田は何年も、別れ別れになった妻と子を必死に探していたが、手がかりを得られず、情報収集を友人の巽(新藤英太郎)とラズモフスキーに託し、自分は所用のため、日本から南方へと旅立つ。

時が経ち、デミトリはオペラの舞台に立っていた。彼が連れ歩いていた美しい娘は、隅田の一人娘マリ子(李香蘭)。彼女はデミトリの教育のもと、オペラ歌手になっていた。そうした中、満州事変が起こり、デミトリとマリ子は日本軍の満州建国に巻き込まれていく。

戦前の満州映画で作られたものであるため、その内容は満州建国を美化した形で描いている。しかし、原作者の大佛次郎を含め製作スタッフの顔ぶれは、戦時下におけるリベラル人達だという。

ロシア革命から満州事変・満州国成立にかけてのハルビンの白系ロシア人社会が主要な舞台となっており、劇中の多くの部分でロシア語の会話が用いられている。現地のハルビン交響楽団も撮影に協力した。大劇場で堂々たる歌声を披露する若き李香蘭はじめ、ロシアの歌劇が続々と登場する音楽映画。

満洲・日本での劇場公開は実現しなかったが、1945年6月に上海で上映されている。
1984年にプリントが再発見された。

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