8月20日1827年【J.シュトラウス】

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ヨーゼフ・シュトラウス
Josef Strauss

Josef Strauss (1827-1870).jpg

[作曲家/オーストリア]
1827年8月20日-1870年7月22日 42歳没
『ラデツキー行進曲』で知られるヨハン・シュトラウス1世の次男で、兄はワルツ王ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)。

生涯

1827年8月20日 音楽家ヨハン・シュトラウス1世の次男としてウィーンに生まれる。
趣味として歌曲やピアノ曲を作曲していたが、父の影響を強く受けて音楽家となった兄ヨハン・シュトラウス2世とは違い、音楽家になる意思はなく、工学技師の道を歩む。
1848年21歳「1848年革命」が勃発。革命側に立って武器を手にして戦った。
1849年22歳 父ヨハン・シュトラウス1世が亡くなる。
1853年7月23日25歳 兄が病に倒れ、代役として指揮デビュー。やがて兄に代わりワルツを作曲することになり『最初で最後 Op.1』を発表し、高い評価を得る。

『最初で最後 Op.1
Die Ersten und Letzten』

1854年7月26歳 技師を辞め、ワルツ『最後の後の最初Op.12』を発表し、それまでのの代理としての音楽活動ではなく正式に音楽家に転身することを表明する。

改めて正式に音楽を学び、古典音楽を積極的に吸収しつつ、「交響楽的ワルツ」という新しい境地を開こうとした。

『オーストリアの村つばめ op.164
Dorfschwalben aus Österreich』

1868年1月21日40歳 『天体の音楽Op.235』を発表。後に『天体の音楽』と『わが人生は愛と喜び』がそれぞれドイツ映画『会議は踊る』のテーマ音楽と主題歌のメロディとして用いられた。

『天体の音楽 Sphärenklänge Op.235』

兄の人気にはかなわなかったが、1853年に音楽家となってから1870年に没するまでの約17年間で280曲以上の作品を残し、500曲以上の編曲を手がけたとされ、その詩情豊かで深みのある作風から「ワルツのシューベルト」と呼ばれた。
1870年6月1日42歳 ワルシャワにて指揮の最中に倒れる。妻カロリーネがウィーンへ連れ帰り、7月22日 シュトラウス家の自宅「雄鹿館」で亡くなった。

10月18日の追悼式では、代表作である『オーストリアの村つばめ』と『女心』が、兄ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)の指揮で演奏された。

『女心 Frauenherz op.166 』

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