7月28日1941年【R.ムーティ】

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リッカルド・ムーティ
Riccardo Muti

[ 指揮者 / イタリア ]
1941年7月28日 - 80歳
カラヤンのベルリンフィルでの後任をめぐって、C.アバド(1933-2014)と犬猿の仲だったイケメン指揮者ムーティ。
イタリア人らしくオペラ指揮の評価高く、ウィーンフィル、スカラ座、シカゴ交響楽団をはじめ、名門オーケストラと共に名演を聞かせる現代の巨匠。
2020年3月「東京・春・音楽祭」において、オペラ『マクベス』の来日公演の予定でしたが、コロナ禍で延期になっています。


THE ART OF RICCARDO MUTI

モーツアルト:交響曲 第41番 ”ジュピター”
指揮:R.ムーティ(2020年演奏)

 

経歴

1941年 イタリアのナポリに生まれる。
幼少時からヴァイオリン、ピアノ、作曲、指揮を学び、古典の深い知識、ラテン語も得意としている。
当初ピアニストとして研鑽を積み、バーリ音楽院に進んだ。代役として指揮をして以来指揮に興味を持ち始める。
勉強に打ち込むも生活が苦しく、アルバイトに明け暮れつつ苦学した。この頃、妻となる演出家クリスティーナに出会う

1967年26歳 若手指揮者のためのグィード・カンテッリ賞を受賞。イタリア国内の主要楽団を指揮するようになる。
1969年28歳 フィレンツェ五月音楽祭歌劇場の音楽監督に抜擢(-1980)
1971年30歳 H.v.カラヤン(1908-1989)に招かれ、ザルツブルク音楽祭デビュー。以来、同音楽祭に欠かせない重要な指揮者となる。
同年 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(現フィルハーモニア管弦楽団)首席指揮者に就任(-1982)。1979年には同楽団初代音楽監督に就任。
一部メディアが反ムーティを掲げて過激な攻撃を行った。これに火がつき聴衆の一部も激化。
1973年32歳 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮。以降ほぼ毎年指揮台に立ち、カール・ベーム(1894-1981)やH.v.カラヤン(1908-1989)並の待遇を受けている。

1974年33歳 ヴェルディ『アイーダ』全曲録音。高い評価を得る。
1975年34歳 巨匠カール・ベーム(1894-1981)に帯同して初来日、ウィーン・フィルを指揮。
1980年39歳 フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任。1992年(51歳)激務に耐えられなくなったことを理由に辞任。
同楽団はその後低迷しムーティの招聘を画策したが固辞され、2011年破産法適用の申請した。
1986年45歳 C.アバド(1933-2014)の後任として、ミラノ・スカラ座の芸術監督就任(-2005)。
1988年47歳 ミラノスカラ座管弦楽団とともにヴィオッティ・ドーロ賞を獲得。
1992年3月50歳 1964年12月H.v.カラヤンによる公演が大失敗して以来28年もの間スカラ座で上演されなかった『椿姫』を公演。大成功をおさめる。
2004年63歳 若い音楽家たちの育成のために、「ケルビーニ・ユース・オーケストラ」を設立。

2005年3月63歳 スカラ座の管弦楽団員と職員の投票により圧倒的多数で不信任を表明され、4月2日辞任。


写真集 リッカルド・ムーティ スカラ座での10年

その後、いくつかの名門オーケストラから首席指揮者や音楽監督の就任依頼を受けるが特定の監督ポストに就かず、客演指揮者として世界各地で活躍。ベルリンフィル、ウィーンフィル、バイエルン交響楽団、ニューヨーク・フィルなどで定期的に客演し、ザルツブルク音楽祭、ルツェルン音楽祭にたびたび出演し、フィラデルフィアやロンドン、ミュンヘン、ウィーン、ラヴェンナ音楽祭などでオペラ公演を指揮。

G.ヴェルディ:歌劇『運命の力』序曲
R.ムーティ指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(2009年演奏)

2010年5月68歳 シカゴ交響楽団音楽監督就任。
2011年2月3日69歳 シカゴ交響楽団とのリハーサル中に失神し指揮台からステージに転落。顔面の骨と顎骨を骨折した。その際、心臓にペースメーカーを埋めていることが明らかにされた。

2011年7月28日70歳 ザルツブルク音楽祭開催中に誕生日を迎え、ウィーン・フィルより名誉団員の称号を贈られた。同楽団はもっとも親密なオーケストラであり、1973年以降ほぼ毎年指揮台に立ち、極東ツアー(日本、韓国、香港)やドイツツアー、ニューイヤーコンサートで1993年以来5回指揮している。また、同楽団の中枢メンバーで構成されるウィーン宮廷楽団の初代名誉音楽監督を務め、Wph専用機(エアバス機)に搭乗が許される唯一の指揮者。

ベートーヴェン:交響曲 第9番 Op.125
R.ムーティ指揮
シカゴ交響楽団 (2014年演奏)

2015年74歳 若手指揮者にイタリア・オペラの正統を伝えることを目的として「リッカルド・ムーティ・オペラ・アカデミー」を主宰。

2019年より「東京・春・音楽祭」において「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」を開催。3年にわたり『リゴレット』(2019)、『マクベス』(2020)、『仮面舞踏会』(2021)を取り上げる計画だが、2020年は現在コロナ禍により延期となっている。

「演奏は常に作曲者によって書かれたままでなされなければならない」との信念から、作曲者の自筆楽譜に忠実に演奏するスタイル。
これまでに、イタリア共和国カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ、フランスのレジオンドヌール勲章ほか、数多くの国際的な栄誉を受賞。日本では、2016年春の叙勲・褒章において旭日重光章、2018年第30回高松宮殿下記念世界文化賞[音楽部門]を受賞している。

クラウディオ・アバドとの犬猿の仲は有名で、F.ゼフィレッリ(1923-2019)やR.アラーニャ(1963-)など多くの音楽家と決裂している。
毒舌で知られるセルジュ・チェリビダッケが才能を認めたのはムーティだけと言われ「恐ろしく無知だが、才能がある」と言わしめた。
カラヤンに似て、車の運転ではかなりのスピードを出すという。

公式HP


リッカルド・ムーティ自伝: はじめに音楽 それから言葉


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