7月21日1920年【I.スターン】

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アイザック・スターン
Isaac Stern

[ヴァイオリニスト]
1920年7月21日 – 2001年9月22日 81歳没
20世紀最高と言われるヴァイオリニスト。
数多くの名盤を残しただけでなく、ユダヤ人の彼は演奏活動を通して世界平和を訴える活動も活発に行い、若手演奏家の育成にも力を注ぎました。宮崎国際音楽祭で初代音楽監督を務めるなど日本にもゆかりが深い音楽家です。


アイザック・スターン すばらしきかな、わがヴァイオリン人生

J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番:シャコンヌ

生涯

1920年 ポーランド領(現ウクライナ)のクレメネツにてユダヤ系の家庭に生まれる。1歳2ヶ月の時、家族でサンフランシスコへ移住。母親から早期音楽教育を受ける。
1928年8歳 サンフランシスコ音楽院に入学。ナフム・ブリンダーに師事。
1936年2月18日15歳 サン=サーンス『ヴァイオリン協奏曲第3番』を、サンフランシスコ交響楽団と共演して、デビュー。
1937年17歳 カーネギーホールデビュー。
1960年40歳 老朽化したカーネギーホール解体危機に救済活動に尽力し、同ホールの運営委員長に就任。現在、カーネギー・ホールのメイン・オーディトリアムはスターンの名がつけられている。

M.ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番終楽章(1962年演奏42歳)

「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、ローマ時代皇帝ネロによるユダヤ人の大虐殺があった時、逃げまどう群衆の中で、ただ一人屋根の上でバイオリンを弾く男がいたという故事を描いたシャガールの絵にヒントを得たもの。ユダヤ人であったスターンは強い共感をもって、ミュージカル映画『屋根の上のバイオリン弾き』(1971)サウンドトラックの独奏ヴァイオリンを担当した。
晩年、中東和平を推進したイスラエルのバラク(1942- )政権を支持し、第二次世界大戦後、ユダヤ人を迫害したドイツ、オーストリアを訪れようとしなかった彼はドイツを訪れ、ドイツ人との和解に尽力した。彼がバラク政権を支持した事は、アメリカユダヤ人社会に波紋を広げた。

1979年59歳 中国政府に招かれ、演奏旅行とともに各地でヴァイオリンの指導を行う。その模様をおさめたドキュメンタリー映画『毛沢東からモーツァルトへFrom Mao to Mozart)』は、1981年アカデミー賞において最優秀長編記録映画賞を受賞。


イツァーク・パールマン(1945-)、ピンカス・ズーカーマン(1948-)、ヨーヨー・マ(1955-)、ユジャ・ワン(1987-)らとたびたび共演し、五嶋みどり(1971-)など多くの若手演奏家の育成にも力を注いだ。息子のマイケル・スターン(1959-)はカンザスシティ交響楽団の音楽監督と首席指揮者として活躍している。

J.S.バッハやL.v.ベートーヴェンF.メンデルスゾーン、J.ブラームスなどの古典的な協奏曲を録音した名盤に加えて、A.ベルク(1885-1935)やB.バルトーク(1881-1945)、I.ストラヴィンスキー(1882-1971)、S.バーバー(1910-1981)、L.バーンスタイン(1918-1990)、H.デュティユー(1916-2013)などの20世紀の協奏曲も録音している。


A.ベルク:ヴァイオリン協奏曲 | B.バルトーク: Rhラプソディ第2番,ヴァイオリン協奏曲

1992年72歳 室内楽にも積極的で、E.アックス(1949-)、J.ラレード(1941-)、ヨーヨー・マ(1955-)と共演したブラームスの室内楽のCDが、グラミー賞を受賞した。


ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番~第3番/ピアノ四重奏曲第1番~第3番

J.S.バッハ:二台のヴァイオリンのための協奏曲 BWV 1043
ギル・シャハム(1971-)、アイザック・スターン
イスラエルフィルハーモニック管弦楽団(1997年演奏)

1985年65歳 広島で行われた「平和コンサート」に参加。
1996年76歳 宮崎国際音楽祭が開催され、初代音楽監督に就任。
1997年77歳 日本国より勲三等旭日中綬章授与。
戦後間も無い時期から度々日本を訪れ、小澤征爾(1935-)はじめ日本人演奏家と親交を持ち、2000年には80歳で来日、日本で来日記念アルバムも発売された。


アイザック・スターン 80才

クライスラー:愛の悲しみ Liebeslied(2000年演奏)

使用楽器はグァルネリ1737年製デル・ジェズ「パネット子爵」および1740年製デル・ジェズ「イザイ」。

2000年にはメリル・ストリープのナレーションによるドキュメンタリー映画が公開された。

2001年9月22日81歳 アメリカ同時多発テロ事件の11日後、その渦中にあったニューヨークで心不全の為、亡くなる。

2002年には宮崎県より県民栄誉賞を遺贈された。また同年、音楽祭での功労を称えて、宮崎県立芸術劇場(現『メディキット県民文化センター』)のコンサートホールは、アイザックスターンホールと改称された。

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