7月18日1821年【P.ヴィアルド】

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ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド
Pauline García-Viardot

[メゾソプラノ・作曲家]
1821年7月18日 – 1910年5月18日 88歳没


Fulle Des Lebens (Europaische Komponistinnen)

スペイン人の著名なオペラ歌手の家庭に生まれ、メゾソプラノ歌手としてパリで一世を風靡した。

父マヌエル・デル・ポポロ・ビセンテ・ガルシアからピアノと声楽の手ほどきを受ける。父親が1832年に他界すると、母親が後をついで音楽の指導を続けた。姉マリアが亡くなった後、職業歌手としての活動を始め、1839年、ロンドンでロッシーニ歌劇《オテロ》でデズデモナ役によりオペラ界デビューし大成功をおさめる。

1840年、21歳年上の作家でパリ・イタリア劇場の監督ルイ・ヴィアルドと結婚。夫のマネジメントで音楽活動を続ける。結婚後もベルリオーズやグノーなど彼女の熱烈なファンは多く、なかでもイワン・ツルゲーネフは、彼女に恋焦がれた貴族の一人。1845年には彼女を追ってロシアを去り、ヴィアルド家に住み込み、亡くなるまで崇拝者であり続けた。
1874年、ツルゲーネフは彼女にパリ近郊ブージヴァルに別荘を贈り、そこには多くの音楽家や画家、詩人が訪れた。(2001年より、ジョルジュ・ビゼー協会や「文化遺産と都市計画 」により、修復作業に入っている。

ポーリーヌを描いた肖像画では、美人画のように修正して描かれているが、「びっくりするほど醜い」「身の毛が弥立つほど不細工」などと言われていた。しかし、歌唱力、表現力、服飾センスの良さや会話術など芸術家としての魅力は、ジョルジュ・サンドは小説『コンスエロ』(1843年)のヒロインを着想し、マイアベーアやベルリオーズ、ショパン、サン=サーンスらに霊感を与えた。

作曲家としては、スペイン語、イタリア語、フランス語、英語、ドイツ語、ロシア語など流暢に操り、さまざまな言語で声楽曲を創作した。ショパンのマズルカを歌曲に編曲、グルックのアリアをピアノ伴奏用に編曲、歌劇《最後の魔法使い Le dernier sorcier 》など作曲している。

1863年に舞台から引退。夫ルイがナポレオン3世に反対する立場を公にしたため、ヴィアルド家はドイツのバーデン=バーデンに亡命した。ナポレオン3世が失脚するとフランスに戻り、ルイ・ヴィアルドに1883年に先立たれるまでの間、パリ音楽院で教鞭を執りつつ、サン=ジェルマン大通りの自宅で音楽サロンを主宰した。
1910年5月18日息を引き取り、モンマルトル墓地に眠る。

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