7月10日1895年【C.オルフ】

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カール・オルフ
Carl Orff

[作曲家・指揮者・音楽教育家 / ドイツ]
1895年7月10日-1982年3月29日  86歳没

車のCMに使用された、カンタータ『カルミナ・ブラーナ』(1937)を作曲した音楽家です。リズム体操、古典舞踊、音楽を体系的に教える「ギュンター学校」の設立に協力し、リズム教育法「オルフ・システム」を考案し、広く世界で実践されており、音楽教育者としても大きな功績を残しています。


カール・オルフ・エディション

『カルミナ・ブラ―ナ』
指揮:サイモン・ラトル指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

 

生涯

1895年 軍人の家系に生まれる。
5歳からピアノを習い、自作の物語に音楽を付けるなど幼少から楽才をあらわした。
1913年18歳 ミュンヘン音楽アカデミーに入学し、翌年卒業。
1915年20歳 第1次世界大戦(1914年7月28日-1918年11月11日)で兵役に就いた後、終戦後ミュンヘン室内楽団とマンハイムやダルムシュタットの劇場で指揮や合唱等の指導をした。
1920年25歳 ドイツ・バロック音楽復興に大きく寄与したハインリッヒ・カミンスキー(1886-1946)に師事。
1924年29歳 1920年代に出会った舞踏教師のドロテー・ギュンターと共に、リズム体操、古典舞踊、音楽を体系的に教える〈ギュンター学校〉を設立。1936年まで音楽教育を担当した。
1925年30歳 モンテヴェルディの劇作品『オルフォイス』を発見。編曲してマンハイムで初演し好評を博す。ドイツ語でのモンテヴェルディの舞台を復活させることとなった。
1930年35歳 バッハ協会の指揮者となり、古楽の編曲を手がける。音楽劇へ傾倒し、バッハの手稿譜から『ルカ受難曲』を舞台劇を伴った形で上演。
1936年41歳 ベルリンオリンピック開会式で、子供たちの音楽とダンスを担当。1972年ミュンヘンオリンピックにおいても、77歳で担当した。
1937年42歳 代表作となる『カルミナ・ブラーナ』をフランクフルトで初演。大成功をおさめ、ドイツ各都市で上演された。しかし、第2次世界大戦の勃発によってドイツと他国との文化の交流が断絶したため、カール・オルフの名が国外で知られることはなかった。

1948年53歳 南ドイツのバイエルン放送局のラジオで、「子ども向けの音と動き、そしてことばによる音楽」を放送、好評を得てその後5年続ける。
1950年55歳 ミュンヘン国立音楽大学作曲科教授に就く。(-1960)
1954年59歳 『カルミナ・ブラ―ナ』のレコード発売により、国際的に名が知られるようになった。それにより「今までの作品すべて破棄して欲しい。理由は、私にとってカルミナ・ブラーナが本当の出発点になるからである」と記し、『カルミナ・ブラーナ』以前の作品はほとんどが破棄された。
1959年64歳 連邦功績章受章。
1961年66歳 ザルツブルクのモーツァルテウムにオルフ学校作品研究室が開設。1963年にはオルフ研究所と改称。
1962年67歳 NHKの招きで夫妻で来日。
「テクニックや理論ではなく、音楽を通じて、自分やまわりの事を知ること音楽の演奏や創る中で、自分を育て、自分の生き方を見つけていくこと」という彼の理念は、日本の学校音楽教育にも影響を与えた。
1972年77歳 ミュンヘン大学より名誉博士号授与。

1982年3月29日 ュンヘンにて86歳で亡くなる。

主要作品は舞台を伴うものがほとんどで、音楽、言語、舞踊の統合をめざし、自らの劇作品を「世界劇」と呼ぶ。音楽教育の分野でも功績は幅広く、カール・メンドラーと協力して開発したオルフ楽器(鉄琴など)は音楽教育で一般的に使用されている。


オルフ:カルミナ・ブラーナ

ヨッフムによる再録音、作曲者オルフが監修した録音としても名高い決定盤。

1984(昭和59)年 日本語や日本のわらべうたを素材にしたオルフ・シュールベルク「子どものための音楽」が日本ショット社から出版される。

子どものための音楽II リズムの即興表現 星野圭朗・井口太編オルフ=シュールヴェルク

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