7月6日1937年【V.アシュケナージ】

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ウラディーミル・ダヴィドヴィチ・アシュケナージ
Vladimir Davidovich Ashkenazy

[ 指揮者・ピアニスト/アイスランド ]
1937年7月6日 –
ショパン国際ピアノコンクール(1955年2位)、エリザベート王妃国際コンクール(1956年優勝)、チャイコフスキー国際コンクール(1962年優勝)など輝かしいコンクール歴をもち、ピアニストとして活躍し数々の名盤を残し、1970年代からは指揮者としても活躍。身長168センチと小柄ながら、20世紀を代表する巨匠。
度々来日公演を行い、NHK交響楽団では桂冠指揮者を務め親日家として知られています。2020年1月現役引退を表明。


ショパン:練習曲集(全27曲)

経歴

ソヴィエト連邦のゴーリキー(現在のニジニ・ノヴゴロド)ユダヤ系の父と非ユダヤ系ロシア人の母のもとに生まれる。
1955年18歳 第5回ショパン国際ピアノコンクール第2位。
優勝はアダム・ハラシェヴィチ。第10位には 田中希代子が日本人として初めて入賞。この時、アシュケナージが優勝を逃したことに納得できないという理由でミケランジェリが審査員を降板した。
同年、モスクワ音楽院に入学。
1956年19歳 エリザベート王妃国際音楽コンクール優勝。
1962年25歳 チャイコフスキー国際コンクール優勝。
一度習得した楽曲は経年に関わらずいつでも演奏できるためか、レパートリーが広い。

正統派の演奏であるショパン練習曲集は、ポリーニの演奏と共に模範とされることが多い。
かつて中村紘子は「どんな音楽家に対しても批判する人はいる。あんなに完ぺきなアシュケナージでさえ悪口を言う人がいる」と語ったことがある。

別れの曲~ショパン名曲集

1961年24歳 モスクワ音楽院に留学していたアイスランド出身のピアニストの女性と結婚。
1963年26歳 叔父が旧ソ連政府の犠牲者になったことなどから、全体主義的政治体制に抵抗し、ロンドンへ亡命。
その後アイスランドへ移住し、1972年妻の故国アイスランド国籍を取得。現在、かつてのラフマニノフの別荘(現在ラフマニノフの孫が住む)近くスイス・ルツェルン湖畔に在住。

1970年頃から指揮活動にも取り組み始め、1974年には指揮者として初の録音を行う。

ラフマニノフの作品はピアノ演奏活動期から重要なレパートリーで、現在ラフマニノフ協会の会長として、世界各地で作品の普及、紹介に努めている。


Rachmaninov: Complete Works for Piano

夫人との間にいる4人の子供のうち、長男ヴォフカはピアニスト。
ヴォフカ、夫人との家族3人による連弾でラフマニノフの六手のピアノのための作品を録音している。また、2台ピアノ作品プログラムで父子による日本公演をしており、CDもリリースしている。
ロシアン・ファンタジー~2台ピアノのための作品集II

次男ディミトリはクラリネット奏者。こちらも父子でアルバムをリリースしている。

ウラディーミル&ディミトリ・アシュケナージ ~父と息子(Clarinet and Piano Recital: Ashkenazy, Dimitri / Ashkenazy, Vladimir)
ウラディーミル&ディミトリ・アシュケナージ ~父と息子(Clarinet and Piano Recital: Ashkenazy, Dimitri / Ashkenazy, Vladimir)

モーツアルト:クラリネット協奏曲
クラリネット:ディミトリ・アシュケナージ
指揮:ウラジミール・アシュケナージ
シドニー交響楽団

初来日した1965年以降、頻繁に来日公演を行い、ルツェルン湖畔の自宅には日本文化をしつらえた和室がある。
2004年67歳 NHK交響楽団の音楽監督を務め(-2007)、現在は桂冠指揮者。
2007年公開の日本のアニメ映画『ピアノの森』にはピアノ演奏・ミュージックアドバイザーで参加した。

2020年1月82歳 現役引退を表明。

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